徒然なる毎日
8/23 道と史跡12.5(写真集)
前回の「道と史跡12」は写真が少なかったので、記事に関係する写真をまとめて掲載します。この土曜日は暑さもそれほどではなかったので、ジョギングがてら踏査してきました。
まず、さいたま市北区奈良町の「武国神社」です。
ここまで追ってきた旧鎌倉街道(羽倉道)のルートですが、この神社周辺のルートは今一つはっきりしません。さいたま市のたてた案内板では、旧鎌倉街道(羽倉道)とされている道はこの神社に突き当ったあと神社東側の道を北上するように描かれていますが、明治迅速図では神社の北側にはかなり深い谷間(小河川と水田)があって昔の道路網はそこで分断されています。北の旧別所村へまっすぐ伸びる道路はありません。このあたりの考証はどうなっているのでしょうか。
上尾市に入ったあともしばらくは道筋ははっきりしませんが、上尾市の古い市報の記事では旧鎌倉街道はさいたま市北区別所から上尾市西宮下へ入ると書いてあります。その西宮下にあるのが下の天神社です。
小さくて見えにくいですが、手前から伸びる歩道橋の左に白い石の鳥居があり、後ろ側がこんもりとした森になっているのがわかると思います。ここで道が分岐していますが、右側は県道51号で第二次大戦の時に新しく作られた道です。左側は地元で「川越街道」と呼ばれている元からあった道です。
この森の所はかなり高い台地になっていてその上に天神社の境内があります。こういう周囲から見て山のようになっているところにつきものなのが、以前「与野塚巡り」の時によく出てきた富士山信仰の「浅間神社」です。「ここにもきっとあるはず」と思い探してみると、やはりありました。境内の一角の周囲よりさらに高くなった藪の中に、「浅間社」と書かれた石柱が…。
また、記事が長くなってきたので、巻いていきましょう。
そこからは線路や住宅、新しい道路などで痕跡がたどりにくくなっていますが、国道17号バイパスにぶつかったところに東町会館という公民館がありそこが勢至堂跡です。ここからは室町時代の板碑が出土しています。
公民館の前の道が鎌倉街道と言われている道で、大きな木は市の天然記念物の樹齢500年のムクノキです。
この道の先は、また住宅地になり街道の痕跡は断続しますが、芝川まで抜けると復活します。下が芝川にかかる「かまくら橋」です。
この橋を渡ってまっすぐ行くと、前回の終点「二ツ宮氷川神社」です。
前回、浮彫が立派と書いたのにその写真がなかったので、あまり写りは良くないですが、何とか写真を撮ってきました。ちなみに上尾市内にはこの神社のほかにも向山不動堂(下の写真)とか畔吉の諏訪神社とか立派な浮彫が多く残っています。
街道の跡は氷川神社の鳥居の前を右へ行き、そこの五差路の庚申塔の所からさらに菖蒲や加須の方へ行ったようですが、このブログは与野高校中心なので、この辺を限界とします。
8/20 夏休みも終盤ですね。& 「道と史跡12」
夏休みも終盤ですね。(「嫌なこと言うなよ」とかいう生徒のみなさんの声が聞こえてくるようですが…。)
生徒のみなさんは、それぞれの目標としていたことは達成できたでしょうか。まだの人はもう一息、頑張ってください。私の方は、終業式で宣言した「夏休み中に100km以上、ランニングする」は結構順調です。あと、前々回にこのコーナーで書いた大型プロジェクトも達成できました。
さて前回、旧羽倉街道を中心に書いてきた「道と史跡」シリーズも、南側は埼玉大学まで行って一区切りしましたので、今回は北側の区切りをつけたいと思います。
自分の中で、北側の限界と思っているのは、上尾市内の二ツ宮氷川神社です。
本校の前の本町通りをずっと北上し、櫛引の板碑から日進神社、さらにさいたま市立大宮北高校の近くまで進みます。そこから、秋葉道との四辻を通り越して進むと、武国神社にぶつかります。この神社も昔は氷川神社といっていた神社で、近くには奈良時代から中世までたくさんの遺跡があり、板碑も沢山発見されています。その先はしばらく街道筋がどれだったのかよくわからないような感じになりますが、上尾市に入って西宮下の天神社のあたりから、県道51号と旧中山道が交差するヤマダ電機の交差点の方へ昔の街道が抜けていたようです。
さらに東へ進み、国道17号を東へ渡ると東町会館という公民館がありますが、この公民館の前の細い道が鎌倉街道と言われています。この公民館は昔は勢至菩薩をまつる勢至堂があった場所で、室町時代の月待供養塔板碑が出土しています。そこから、住宅地に入ると道筋が分からなくなりますが、芝川を渡るところにその名も「鎌倉橋」という橋があり、その先に、二ツ宮氷川神社があります。
この神社も中世からあった古い神社です。本殿の正面扉や側面の壁に見事な浮彫があるのが特徴ですが、柵に囲まれているのでのぞくことはできても、写真がうまく撮れません。
神社建築の浮彫と言ったら、なんといっても日光の東照宮が有名ですし、埼玉県にも妻沼の聖天山(ここは神社ではなくお寺ですが)に極彩色の浮彫があります。二ツ宮氷川神社は社殿は小さいし、浮彫もすっかり色あせてしまっていますが、浮彫は精巧なもので作られた当時はさぞ華やかだったろうと思わせます。
こういった神社や寺の浮彫のテーマは、なぜか西王母など中国の道教の物が多くなっています。昔の人は、仏教と神道、道教などの区別をあまりはっきりとせず、みな混ざり合った(習合した)状態で信仰していたからだと思いますが、なぜ道教の物が多いのかは不思議です。
鎌倉街道はこの神社のそばの五差路から北東へ菖蒲の方へと抜けていきますが、このページは与野高校を中心としたブログですので、この神社を北限としたいと思います。
これで「道と史跡」も一区切りですが、まだいろいろと興味のあるテーマがありますので、ある程度ネタが集まったら再開したいと思います。
8/11 久しぶりにちょっと史跡巡りです(道と史跡11)
立秋を過ぎ、猛暑の中でも朝夕の風に秋の気配が感じられるようになりました。
最近、暑いので道と史跡シリーズの取材は休んでいたのですが、先日思いがけず本校から埼玉大学の区間の旧羽倉街道を踏破することになりました。
以前、紹介した本町通りの庚申堂の所の分岐を右に進むのが旧羽倉街道の道筋です。さいたま芸術劇場の前を過ぎ、17号バイパスを渡って、ひたすら行くと、常盤高校とさいたま桜高等学園があります。さらにずっと進むと、埼玉大学の正門の前に出ます。下の写真は、通ってきた道を埼玉大学正門の側から振り返ったところです。手前は埼大通りでその向こうの赤い車が出てきている道が旧羽倉街道のルートです。
ここで埼玉大学構内へお邪魔すると、大学会館の前から経済学部や図書館の横を通って南に延びるうっそうとした森があります。
ここは大学が出来る以前は、今はさいたま桜高等学園の隣にある上大久保氷川神社があった場所だそうで、森は境内林の名残です。この件については、埼玉大学OBの方が作っている「蒼玄寮・悠元寮のページ」というサイトに詳しく載っていますからそちらを見るとよいでしょう。(http://www.sogen-yugen.org/contributes/recent-state/ookubo-walking/motohikawajinnja.html)
旧羽倉街道はここから先、入間川を渡って所沢の方へ進みさらに鎌倉に向かって伸びていきますが、私の守備範囲としては、このあたりが限界です。
8/6 夏休みの只中で
暑い日が続きますが、みなさまいかがおすごしでしょうか。
オリンピックもいいのですが、毎日スポーツ中継ばかりだとさすがに疲れてきました。それにしても、やはり7~8月の東京でオリンピックというのは無理だったのでは。先日もゴルフ競技も恐ろしいほどの日差しで、白人の選手などは日焼けで真っ赤になっていました。競技成績より、健康の方が気になってしまいます。
さて、私はというと、オリンピック観戦もさることながら、先日、終業式で生徒のみなさんの前で宣言した総計100kmのランニング目標を達成すべく、帰宅後にせっせと近くの公園を走っています。距離の伸びは順調ですが、年齢のせいか全然ペースが上げられません。結果は始業式で報告します。
あと、さきごろとある秘密の大型プロジェクトを始動しました。こちらも近日中にそのベールがはがれる見込みですが、一部だけ下の写真でお見せしましょう。
7/28 オリンピックに今、夢中です。
夏休みもど真ん中です。
1年待たされた東京オリンピックは今たけなわです。昨晩もソフトボールの決勝戦を見ふけってしまいました。日本チームは強いですね。アメリカチームを零封して金メダルを獲得するとは…。
あと、今回のオリンピックで注目といえば、ボートの荒川龍太選手です。荒川選手は男子シングルスカルで予選から順調に勝ち上がり、29日の準決勝出場が決まっています。これは実はものすごい偉業、快挙と言えます。
日本はボートではいまだオリンピックでのメダルはありません。これまでの最高は男子の6位(軽量級ダブルスカル)、女子の9位(軽量級ダブルスカル)です。しかも、これらはいずれも体重制限のある軽量級です。日本は近年は体重制限のないクラスでは勝ち目がないとして、軽量級に狙いを絞っていたのですが、今回の荒川選手は、堂々と体重制限のないクラスで勝ち上がっています。いや、これを偉業と言わずして、なんと言いましょう。
日本では、ボート競技はほとんど放送もされず、注目も集めていません。(そもそも、ボートとカヌーの区別すら分からない人も多いと思いますが、私はボートにはちょっとうるさい人です。)しかし、ボートは、欧米では非常にステータスの高い伝統あるスポーツです。29日の準決勝もテレビ中継はないようですが、インターネットのライブ配信はあるようですので、時間休をとって応援したいと思います。
あとはマラソンも気になるところです。一時期はすっかり世界の流れに乗り遅れていた日本マラソン界ですが、近年になり、ようやく高速化の流れに乗れる選手が出てきました。今回は、金メダルは難しくても、銅メダルくらいもしかすると行けるかもしれません。楽しみです。
7/20 終業式
早いもので、もう1学期も終わりです。
今日の終業式では、生徒の皆さんに以前このコーナーでも紹介した"Who dares wins."という言葉を紹介しました。
夏休みは長いようで短いものです。有意義に過ごしてください。
7/19 残念ながら
残念ながら、与野高校野球部が本日のさいたま大会第4回戦で坂戸高校に2-9(7回コールド)で敗れました。
1回から5回までは、互いにランナーを出しながらも、大量点を許さない接戦だったのですが、6回裏に坂戸高校に7点を許してしまい、7回の反撃も及びませんでした。
しかし、野球部の諸君は、勇気と敢闘精神をもってよく頑張りました。
今年の夏の大会は終わりましたが、野球も人生にもまだまだ先があります。今回の経験がきっと生きると思います。
与野高校野球部を応援してくださった皆さん、ありがとうございました。
また、本校に勝利した坂戸高校の諸君には、今後の一層の健闘を祈ります。
7/16 Who Dares Wins!
与野高校野球部が本日の「第103回全国高等学校野球選手権 埼玉大会」の3回戦(対大宮工業高校)に13-5(7回コールド)で勝ちました。
初回に一気に9点をもぎ取り、そのあとも小刻みに追加得点を挙げて反撃を振り切りました。なんとなく先行逃げ切りのパターンが出来つつある感じです。
(写真は、1回の表、先制の1点目をたたき出した遠藤(大)のヒット(だと思いますが間違ってたらすみません))
本日のゲームは大宮工業のピッチャーが立ち上がりの制球に苦しんでいるところに乗じた感じではありました。しかし、四死球を取ることができるのは、相手チームのピッチャーが「与野高相手には甘いところへは投げられない」というプレッシャーを感じているからです。そして、それは本校の選手諸君が、塁に出たらどんどん先を狙っていく勇気と積極性を持っているからだと思います。
英語の慣用句に”Who Dares Wins."というのがあります。これは第2次世界大戦中に活躍した英国陸軍特殊部隊SASの標語らしいですが、意味としては「敢えて危険に挑む者が勝利する」みたいな感じです。野球部の諸君にぴったりだと思います。
次は7月19日(月)の第一試合、坂戸高校と対戦です。次のゲームでも、勇気と積極性をもって堂々たる戦いを見せてください。”Who Dares Wins!"
7/14 勇気の勝利
いやぁ、やりました。野球部が昨日の「全国高校野球選手権埼玉大会」2回戦でDシードの本庄東高校に勝ちました。私的に、昨日から脳内が欣喜雀躍、タガがすっかり緩んだ状態になっています。
Dシードを破ったわけですから、世間的には「番狂わせ」ということになるのでしょう。
しかし、昨日の試合では、与野高校の選手諸君は走攻守のすべてにのびのびと力を出し切っており(特に走塁の判断が冴えてました!)、勝つべくして勝ったように見えました。
難しい打球に思い切って飛び込む、チャンスがあれば少しでも先の塁を狙うという勇気が勝利の原動力だったと思います。(下の写真は1回の3点目のホームイン、角度が悪くてすみませんが…)
次のゲームは16日(金)の第1試合、大宮工業高校との対戦です。野球部の諸君には、また与野高生の勇気を見せてほしいと思います。
ところで、昨日、野球部の諸君が学校から出発しようというときに、ものすごい豪雨に見舞われました。試合が中止になったりしないか? と思いネットで雨雲レーダーを調べてみたら、雨雲があるのは、与野本町駅を中心とした半径1kmほどだけ、しかも、特に雨雲が濃いのは本校の真上という、なんとも不思議な状態でした。
てっきり「なんかやらかしてしまったか?」と私の最近の行状を振り返ったりしましたが、今から思えば、あの不思議な豪雨は瑞祥(おめでたいきざし)だったのかもしれません。
7/12 ゲリラ豪雨に参りました
前回、地形などを見て災害に備えなくては、という話を書きましたが、その直後に、熱海で土石流が発生したので、いやなタイミングで記事を書いてしまったな…と、ちょっと気分が沈んでしまいました。
さて、7月11日(日)、本校野球部の試合が予定されていたので上尾市民球場へ行きました。(今年の大会は、2回戦までは学校関係者しか入場できません)
午後1時前に集合ということだったので、12時過ぎに自宅を出て自転車で球場へ向かいました。その時は、夏の日差しが肌に痛いほどで、日焼け止めをしっかり塗り込んで出かけたのですが、前の第2試合(滑川総合高校対桶川高校)が終わるのを待っているうちにだんだん雲行きが怪しくなりました。小雨が降り遠雷が聞こえ始めた時点で試合は中断、その後、一旦は再開しましたが、午後3時前にいわゆる「バケツをひっくり返したような」土砂降りとなり、その日の日程は中止になりました。(下の写真は雨宿り中のクラブハウスから見た球場)
本校対本庄東高校の第3試合は翌日以降に延期、対戦中だった滑川総合高校対桶川高校は再試合となりました。試合開始前に延期になった本校はともかく、接戦を繰り広げていた第2試合の両校の選手諸君は残念だったのではないかと思います。
その後、ずぶぬれになりながら自宅へ帰りましたが、午後6時ころには、先ほどの雨が嘘のように夕日が差し込んでおり、この気まぐれな天気にはすっかり参りました。
昔から夕立は夏の風物詩だったはずですが、近年のこのゲリラ豪雨ぶりはちょっとすごいです。やはり気候が変化してきているのかな、という感じがして心配です。