校長室ブログ

11/27 プチ史跡巡り(27)史跡が消える!?

 久しぶりにプチ史跡巡り、しかも地元与野のネタです。

 私は普段は電車+徒歩ですが、たまに自動車で通勤することもあります。先日、久しぶりに自動車で出勤したときに、本町通りの景色にどこかおかしな感じを受けました。

 何がおかしいのかと思い、歩いて戻って確かめてみたところ、本町通りと赤山通りの交差点から100mくらい北側にあった「西澤嚝野先生墓所の石碑(下の写真左)がない!」ということに気が付きました。

 以前はここの民家の敷地の角に石碑が立っていたのですが、いつの間にか民家が取り壊され更地になっており、石碑もなくなっていました(下の写真右)。

 

 

 ここでそもそも西澤嚝野先生とは何者か、ということについて解説します。与野周辺の散策に欠かせない「与野歴史散歩(旧・与野市編)」によれば、西澤嚝野先生は江戸時代に与野に住んでいた学者です。西澤先生は与野の生まれで、上杉鷹山(名君として有名)の師である細井平洲(この人も有名)に学び、俊英として知られていましたが、栄達を好まず郷里の与野で地元の子弟の教育や慈善活動に努め、「与野聖人」と呼ばれたそうです。

 この西澤先生のお墓が、石碑のある角を入っていった先の長伝寺というお寺にあり、石碑はお墓参りをする人を案内していたわけです。石碑自体は裏面に昭和17年という年紀があり、そんなに古いものではありませんが、与野では、没後も長く西澤先生の遺徳がしのばれていたことがわかります。

 「まさか家を取り壊した際に石碑も取り壊されてしまったのか!?」と思い周辺を探してみたところ、石碑は西澤先生のお墓のある長伝寺に移築されているのを見つけ、一安心しました。しかしこの石碑は本町通りの目立つ場所にあり、西澤先生の名を世に知らしめていたのに、目立たない場所に移ってしまっては、その任が果たせません。

 考えてみればこの石碑以外にも、存続が危ぶまれる史跡は数多くあります。たとえば以前紹介した与野周辺の神社や祠にも、地元の方の個人所有と思われるものがたくさんあります。これらは所有している方々の信仰心や崇敬に守られてきたわけですが、これらの家の方々も代替わりや相続で神社や祠の立っている地所を手放すことがあるかもしれません。

 もちろん、それがいけないということはありません。そもそも昔の人が作ったものをずっと守らなければならないのであれば、現代のわれわれは住む場所がなくなってしまいます。町も家も古いものが壊されて新しいものに入れ替わるのは当たり前です。

 しかしこれらは一度なくなってしまうと、急速にその存在が忘れられてしまうので、現存するうちに記録に残しておくことが必要だと思うのです。

 以前、私の家の近くの民家の一角に一基の馬頭観音があり、それには由来も刻んでありました。「その家のご主人が若いころ、日中戦争に出征し物資輸送の任務にあたっていた際、一発の砲弾が自分のすぐ横に着弾した。しかし、自分の引いていた馬が砲弾の破片を受け止めてくれたので、自分は無事だった。身代わりになってくれた軍馬の供養のため、この観音を建立した…。」というような話だったと思います。そのうちにきちんと写真でも撮ろうと思っていたのですが、ついうっかりしているうちに撤去され、場所もわからなくなってしまいました。

 このような身近な人々の小さな歴史を刻んだ史跡がなくなるのは、本当に残念です。皆さんも身近にこういったものがあったら、スマホで十分なので、写真や記録を取っておいてはどうでしょうか。