校長室ブログ

2/2 もうすぐ立春 & プチ史跡めぐり(36)庚申塔探し(2)

 暦の上では明後日は立春ですが、今日は朝から寒いですね。「春は名のみの風の寒さや…」とか思わず歌いたくなります。月曜日は雪の予報も出ているようです。今から授業措置などはしませんが、生徒の皆さんはこの学校Webページやメール配信での情報に気を付けていてください。

 さて、今回のプチ史跡も「庚申塔探し」、私のジョギングコースシリーズ(?)です。

 国道17号と県道51号の交わる「上尾運動公園前」交差点の北東角にマクドナルドがあります。そのすぐ裏の東町公民館のところにも庚申塔があります。

ちょっと摩耗は進んでいますが、青面金剛の背景に彫られた唐草文様など、なかなか繊細な感じです。正面左側に年紀が彫ってあります。一部不明瞭ですが、「宝永七年庚寅九月艮辰日 敬白」と書いてあるようです。しかし「艮」は子と卯の中間(北東)なので十干十二支の組み合わせにはなく、「艮辰」という日はないと思うのですが…。正面右側の刻字はもっと読みづらく、かろうじて「奉〇〇庚申像一躰各ノ施主諸願成就処〇」のように見えます。

宝永七年は1710年ですが、宝永年間は、宝永4年に推定マグニチュード8以上の宝永地震が起き、それに引き続いて富士山が大噴火、さらに浅間山や阿蘇山も噴火を繰り返すなど大変な時代でした。人々の神仏を頼ろうとする気持ちも一段と高まったのではないかと思います。

この庚申塔の隣にはもう一つ同じくらいの石塔があります。

庚申塔ではなさそうですが、何なのか私にはわかりません。文字がたくさん刻んであるのですが、繊細な彫なので摩滅が進み上部に梵字のサークルのような模様があり、その下に「南無阿弥陀仏」と書いてあります。左側には「〇月廿一日」と日付が刻んであるようですが、年を示す部分はないようです。下の方にはたくさん人名のようなものが刻んであります。その中に「向原(?)」とよめるような部分があります。

この石塔の場所は、鎌倉街道(羽根倉道)と伝えられる道に面していて、昔は勢至堂があったとされる場所です。ここからは15世紀の月待供養塔も出土しています。昔の上尾市報に掲載されたその月待供養塔とは、この石塔は形が違うようなので、別物でしょうが、「廿一日」のように見える刻字からするとこれも「二十一夜待ち」の石塔だったりするのでしょうか。私は日本史も宗教史も全くの素人なのでわかりませんが、石碑、石塔の類もなかなか面白いですね。