5/24 一山行者カムバック!(道と史跡8)
今日から中間考査です。
いつも静かな与野高校ですが、試験中は一段と静かでまるで人がいないようです。ただ休み時間になると、緊張から解き放たれるせいか、悲鳴とも雄たけびともつかない声が聞こえてきたりします。
さて、今回はちょっと妙なタイトルですが、天気も良いので久しぶりの近隣史跡巡りシリーズです。
いつもおなじみの本町通を本校の位置から200mくらい北上します。ファミリーマートの向かい側に「一山神社」の看板と赤い灯篭が立っています。そこから、石畳の参道を入っていくと、普通の民家の庭先のようなところに入ってしまい一瞬戸惑いますが、そのまま奥に進みます。
すると突然異次元の世界に入ったかのように、立派な石の鳥居とうっそうたる境内林、立派な社殿を持った神社が現れます。
社殿正面の透かし彫りも見事です。
表通りからちょっと入っただけでこんな森厳な空間が現れるとは、ちょっとびっくりですが、これが「一山神社」です。
この神社は何をお祀りしているのかというと、少彦名命、誉田別命、一山大神とのことですが、やはり中心は社名にもなっている一山大神でしょう。この一山大神とは、江戸時代後半に各地に木曽御嶽山の信仰を広めた一山行者を神格化したものです。
一山行者は相模国(神奈川県)津久井村(相模湖の近く)で生まれ、与野の井原家の婿となりました。しかし、ある時発心して円乗院(本校の南隣のお寺)で僧となり、木曽御嶽山などで修験道を修め行者となりました。各地で尊崇を集め、与野にもたくさんの信者がいました。そして行者が亡くなった後、与野の一山講(信者団体)が、木曽御嶽の神と一山行者を祀るために、元は八幡神社であったところを、一山神社としたとのことです。
こうしてみるとすっかり与野の人ですが、なぜかネットで一山行者を検索すると、与野の一山神社ではなく、東京都大田区の御嶽神社のHPが最初にヒットします。また2年前に大田区立博物館で特別展「嶺の御嶽山と一山行者」という展覧会も開かれたようです。これらのHPを見ると「一山行者は荏原郷嶺の木曽御嶽を祀る祠を再興して御嶽神社を開き、大いに御嶽信仰を広めた」的なことが書いてあり、与野出身であることにも一応は触れていますが、まるで大田区が一山行者の活動の中心、本場であるかのようです。
これって、なんとなく「横どられ」感がないですか?
あえて平地に乱を起こそうとは思いませんが、せっかくの与野の生んだ歴史上の人物なのに、大田区に取られてしまっているようなのは残念です。与野(中央区)でも、もっと一山行者を顕彰し、郷土の偉人として奪還した方がよいのではと思います。