校長室ブログ

2/15 春一番 & プチ史跡巡り(37)道路跡を探す

 今日は「春一番」とかで生暖かい南風が吹きつけています。先ほど、防災訓練でグラウンドに出る際に「寒いかな」と思って、ウインドブレーカを持って行ったのですが、着る必要がありませんでした。季節はどんどん春に向かっているのですね。

 防災訓練ではさいたま市消防局の起震車に来てもらっての地震体験もありましたが、震度7ともなると、立ち上がって何かするのは不可能になる、というのがよくわかりました(写真下)。いざというときに慌てない心構えをしておきたいと思います。

 さて、今日のプチ史跡は本当にプチです。プチ史跡(35)で、かつては道の分岐点に立っていた庚申塔が、片側の道がなくなってしまったため、今は変な方向を向いているように見えるという話を書きました。それ以来、昔から残っている道の跡を探すのにちょっとはまっています。

 

 上の写真は、上尾運動公園の国道17号東側部分(かつての水上公園の側)の森の中の道です。

 この道のある上尾市とさいたま市の境界付近は、昔はあまり水に恵まれず少々の畑作地のほかはマツやナラの林などが広がる地域だったようです。その後、この辺りには「吉野原工業団地」などができ、大幅な区画整理が行われたので、道路網も大幅に書き換えられてしまいました。その中で、この道は数少ない昔のままの道なのです。

 上の地図は、「歴史的農業環境閲覧システム」の比較地図から借りたものです。地図上の赤い縦線が写真の道です。左側の明治迅速図を見ると、現在は交通の大動脈となっている国道17号は影も形もありません。しかし写真の田舎道は今と同じ位置にしっかりあります。長くつながってはいないので街道という感じではありませんが、南側の集落と北側を通る上尾原市新道(青い線)を結ぶルートになっています。当時の上尾原市新道は地方の重要ルートだったので、それに接続するこの道もかなり人通りがあったのではないか? 思われます。

 そういう目でみると、変哲のないただの田舎道も、なかなか楽しいものに見えてきます。(って私だけですか?)