校長室ブログ

12/5 プチ史跡巡り(16)氷川神社の謎

 早いものでもう12月。すっかり冬ですね。一年で一番日が短くなる冬至ももうすぐです。

 冬至で思いだすのが氷川神社です(なぜ思い出すのかは後で説明します)。氷川神社は埼玉県では最もありふれた神社で、それこそ、そこら中にある感じです。私の地元の上尾市内にも沢山あるのですが、昨日は久しぶりに気持ちの良い天気だったので、ジョギングがてら上尾市二ツ宮の氷川神社へ行ってきました。

 小ぶりながら、精巧な浮彫が施された立派な本殿です。ここの氷川神社は今はお社が一つですが、昔は隣にもう一つお社があり、男体社と女体社の二つのお社があったことから、「二ツ宮」と呼ばれていたそうです。

 さて、氷川神社の本社は言わずと知れた大宮の氷川神社です。祭神は、スサノオノミコト、クシイナダヒメ、オオナムチの出雲神話の主役の三柱とされ、社名のヒカワも出雲の国の斐伊川に由来するという説が一般的です。

 しかし実は氷川神社はそんな簡単な神社ではなく、たくさんの謎を秘めた神社なのです。

 このあたりの話はネットでググるとたくさんヒットしますが、以下にかいつまんで紹介します。

 氷川神社は表向きの祭神とは別に、元々は竜神信仰の神社であったと言われています。かつて埼玉県南部には見沼という大きな湖沼がありましたが、大宮の氷川神社(大宮区高鼻)は見沼区中川の中山神社(中氷川神社)と緑区三室の氷川女体神社と見沼で結ばれた三社一体の神社であったといわれます。また見沼田んぼの山口新田には、古代から中世にかけて数百年もの間、竜神の祭りがおこなわれていた水上祭祀の跡(四本竹遺跡)もあります。

 見沼周辺はこのように水神(竜神)信仰が盛んな土地だったのですが、近世に入り見沼が干拓されたために、水上祭祀は氷川女体神社の神池で行われるようになりました。また伝説では、この時、見沼の竜神は千葉の印旛沼に引っ越したそうです。

 この話からすると氷川神社の祭神は、本来は土着の見沼の竜神(さいたま市のマスコットのあれです)であったようです。また、このことを裏付けるかのように氷川神社の分布はほぼ昔の武蔵国の中に限られています。出雲の斐伊川が名前の由来とされるているのに、出雲には氷川神社はごくわずか(2社くらい)しかありません。現在の三柱の祭神は、氷川神社を記紀神話の体系に取り込むための後付けだった可能性が高いと思います。

 またこのように出自のはっきりしない神であるのに(あるいはそのために)、氷川神社は、古代から天皇家や朝廷にとって非常に重要な神社でした。平安時代の延喜式には「名神大社」(天災などが起きたときに国家が祈願する神社)として記載されています。近現代においても、明治天皇は東京に来て10日目には氷川神社に行幸して祭祀を行っていますし、現在でも宮中の四方拝で遥拝される神社となっています。要するに氷川神社は、マジカルな意味での関東支配の要なのです。

 また一部で有名なのですが、先ほどの氷川神社、中山神社、氷川女体神社の3つの神社は、北西から南東に30度傾いた一直線上にあります。東西方向から30度傾いた線というのは、関東地方くらいの緯度だと、冬至と夏至の日の太陽の方向と一致するいわゆる「レイライン(光の道)」にあたります。

 念のため書いておきますが、私はレイライン系の話はあまり信じないほうです。なぜなら「レイライン」は作ろうと思えば、いくらでも作れるからです。地図上でまず有名な神社や遺跡を一つ選び、そこに物差しを当ててぐるっと回し、東西や南北、30度傾斜などの先にあるめぼしい神社等をもう一個探します。その2点間に直線を引き、さらにその直線の周囲に神社や遺跡を探していけば「レイライン」完成です。世の中には、何でも「レイライン」で結んで、超古代文明みたいな話にしてしまう人がいますが、そういうのはちょっとどうかと思います。

 しかし上で紹介した「氷川レイライン」の話は、かなりよくできています。たしかに3つの神社はほぼ等間隔で一直線に並んでいます。しかも適当に選んだのではなく、これだけ関係の深い神社が直線状にあるのですから、意図的な並び方であるという話にちょっと信ぴょう性が出てきます。方位的にも真ん中の中山神社から見れば冬至の日の出はぴったり氷川女体神社の方向から上り、夏至の太陽は高鼻の氷川神社の方向に沈むはずです。ついでに言うと下山口新田の四本竹遺跡も、ほぼこの「レイライン」を南東に伸ばした線上にあったりします。「これは、もしかして本当かも?」と感じさせられます。

 ただこの説の通りだとすると、3つの神社を直線状にどうやって並べたのかが問題となります。のろしを上げて観測するなどの手段で、冬至や夏至の太陽の方位に合わせて土地を選定するということは不可能ではないとは思います。しかし、いくら人家もビルもない古代でも、視線を遮る森や地形の高低はあったのでそう簡単ではないでしょう。

 さらに氷川神社といえば、昨年読んだ「縄文神社」武藤郁子(飛鳥新社)という本には、氷川神社は縄文時代の祭祀跡に建っているという話がのっていました。これが本当なら氷川神社の歴史は数千年から1万年くらいに上ります。

 我々、埼玉県人にとってはすごく身近な氷川神社にこのような謎があるのは、とても楽しいことだと思います。