校長室ブログ

3/5 道しるべ ~プチ史跡(38)

 今年の高校入学者選抜も明日の追検査の結果発表を残すだけとなりました。

 先日、冷たい雨の中、自転車で走っていたらいい感じの石塔を見つけました。

 

 

国道17号の緑丘交差点を東に曲がり、少し進むと「ディスカウント トライアル」というお店のところに、変形6差路があります。そこを右に曲がって100mくらい行くと、住宅地の中に3坪くらいの石柵に囲まれた空き地があり、そこに小さな石塔が立っています。

表面には少し薄れていますが「牛頭天王」と彫ってあるのが読めます。右側面には「宝暦二申六月吉日」と建立の日付があり、左側面には「上〇〇」と願主が刻んであったようです。(上〇〇はたぶん「上尾村」でしょう)

牛頭天王は、このブログには何度も登場していますが、牛頭人身(ミノタウロスですね)で、京都の祇園社などに祭られている疫病の神様(祇園様)です。してみるとこの石塔と囲い地は小さいながらも祇園様のお社とその境内という事になります。すごくきれいに手入れされていていい感じです。

この祇園様の周辺も、区画整理や宅地開発などで昔の道筋が大きく変わってしまっていますが、お社が面している道路は明治迅速図にも載っていますし、近くの変形6差路も昔は5差路だったようですが、ちゃんと載っています。

 よく見ると、この祇園様自体も、お社のマーク(今の地図記号とは異なり、小さな社殿のような絵で表される)で載っているようです(上左の地図中の赤丸)。

 この祇園様は、原市から桶川へ抜ける街道に面していました(今は寸断されていますが)。原市は市場町としてにぎわった場所で、桶川も中山道の宿場や紅花の集荷される場所として栄えた町です。きっと多くの人がこの祇園様の前を通って行ったことでしょう。この石塔は違いますが、庚申塔などには旅人のための道しるべの役割を果たしているもの(プチ史跡第35回参照)が多くあります。また道しるべの機能はなくても、これらの石塔は自分たちの集落や道行く人々の安全を祈って建てられたものです。私は、昔の人のこういう素朴な信仰心に共感します。この祇園様が建てられたのは刻まれた年紀によれば宝暦2(1752)年ですから、270年もの間、この場所を守ってきたわけです。きっと地域の方に大事にされてきたのでしょう。思わずほっこりして、冷たい雨に冷え切った体が少し温まったような気がしました。

 そういえば、今度の金曜日は早いもので、本校の卒業式です。今度卒業する3年生の皆さんがそれぞれどんな宗教や神様を信じているかは知りませんが、3年生の皆さんの上に末永く、何らかの神様のご加護と導きがあるよう祈っています。