校長室ブログ

6/7 三貫清水緑地の「鎌倉街道」(道と史跡10)

 皆さん、休日はどう過ごしていますか。

 私の場合、ごろごろ寝っ転がって過ごすというのが、どうも苦手です。とはいってもどこかへ遊びにいくお金もないので、公営のスポーツセンターへ行ったり、近所を走ったりしています。その成果を発表します。

 このページでは鎌倉街道「羽倉道」について断続的に書いています。今回もその続きです。本校の前から本町通を北上し、6/1の本欄で取り上げた氷川神社から並木南町分岐を右にとって進みます。2~3kmくらい行くと、4/19の本欄で取り上げた櫛引の板碑や日進神社です。さらにこの道を突き進むと日進駅の西側で埼京(川越)線を渡り、17号バイパスも横切って、さいたま市立大宮北高校の近くへ出ます。

 大宮北高校のグランドの南側に「三貫清水緑地」という公園があります。その公園を南北に貫いている道が昔の「鎌倉街道」とされています。台地から鴨川の低地に下る斜面林の中にあり、がけ下にはかつて太田道灌公が激賞した名水が湧出しているという、隠れた名所です。まさに鎌倉街道という風格を感じさせる道で、ご近所の方の絶好の散歩道となっています。

 この道の北側の突き当りは大宮北高校のグラウンドですが、高校敷地の西側に沿ってきれいな水の流れる側溝があり、北西の角に「弁財天」の祠があります。弁財天(弁天様)は元はインドの川の神です。日本では、ほとんどが水辺(有名なところでは江の島や琵琶湖の竹生島、近場では与野公園の天祖神社の池の小島など)に祀られています。ここに弁財天があるということは、この地域に水にまつわる信仰があることを示しています。

 大宮北高校グラウンドの北側の辺から北上する路地を進むと太い道との交差点に古い道標と馬頭観音が立っています。道標には、東は「あげおいわつき道」「ぢおんじ道」、西は「あきば道」、南は「よの道」などど書いてあります。この東西に交差する道も秋葉神社に参詣する人が通った古い道筋です。いやあ風情がありますねぇ。

 

 さて、しかし、ここまで書いておいて何ですが、ここで私は「上に写真を載せた『鎌倉街道』は本当に鎌倉街道なのか?」という疑問を提出したいと思います。

 「さいたま市教育委員会が指定してしているものに文句をつけるなよ!」という声が聞こえてきそうですが、私にも疑問を提出するだけの根拠はあります。

 まず、この道の通っている場所です。昔の街道はたいてい台地の鞍部(一番高いところ)を通っていることが多いものです。その方が水害等に強くなりますし高低差も少なく工事が楽です。三貫清水緑地の「鎌倉街道」は雰囲気は素晴らしいですが、この原則に外れ、斜面林のかなり崖下に近い場所を通っています。これでは鴨川があふれたらすぐに水につかってしまいそうです。

 次に、この「鎌倉街道」は以前紹介した櫛引の板碑と日進神社のあるルートの延長上にありません。下の地図は、左側が例の「明治迅速図」で右が今の地図です。三貫清水緑地の「鎌倉街道」とされているところは地図上に「〇」をつけた場所です。

 ご覧の通り、左の迅速図ではここには道が書いてありません(少なくとも太い道はありません。曲がった細い線は等高線です)。地図上に赤線で書き加えたものが、櫛引の板碑からまっすぐに北上するルートで、三貫緑地公園の「鎌倉街道」より100mくらい東側になります。赤い線の北の突き当たりが先述の道標と馬頭観音になります。この赤い線は今の地図では大宮北高校の敷地で分断され、東寄りに迂回した新しい道が作られていますが、このルートであれば、斜面林を登り切った台地上を通るルートとなり、先ほどの昔の街道の原則も満たします。こちらが本当の鎌倉街道なのではないでしょうか。

 さいたま市教委(旧大宮市教委)は、どのような根拠から三貫緑地公園の中の道を「鎌倉街道」に比定したのでしょうか。発掘調査の結果とかなら文句はありませんが、もともとはただの森の中の間道だったものを、いかにも古道らしい雰囲気に流されて「鎌倉街道である」としてしまった可能性も無きにしも非ずだと思います。私的には、上述のような理由から、この道が鎌倉街道というのは怪しい(本当に素晴らしい散歩道ではあるのですが)と思っているのですが。