校長室ブログ

12/23 第2学期終業式、暦について

 今日は2学期の終業式でした。終業式には「校長講話」がつきものですが、「講話」というからには何かためになるお話をしなくてはならないようです。そこで、今回は人生の密度の高いのは若いうちだけなので、新年に向けて目標を立てて頑張ろうという主旨の話をしました。令和4年度2学期終業式.pdf

 私が高校生の頃の校長先生は、15分から20分にもわたり、和漢洋の古典などを引用して格調高い訓話をしたものでした。私はちょっとそういうのは苦手ですので、最長でも5分くらいです。私だってやろうと思えば、多少の古典の引用くらいできます。しかし話のコアとなる部分は、結局一般的な心構えだったり通俗道徳だったりするので、古典の言葉など借りずに、自分の言葉で普通に語れば十分だと思います。

 それに、そもそも昔の校長先生はみんな「詩経」とか「易経」とか「春秋左氏伝」とかを読んでいたのでしょうか? 中国文学や中国史の専門家ならともかく、こんなマニアックな古典を読んでいた人が沢山いたとは思えません。校長向けの講話に役立つ古典の言葉をまとめた本から孫引きしていたんじゃないかと疑わざるを得ません。

 さて、今日の2番目のお題「暦について」です。昨日12月22日は冬至でした。今の我々の暦は冬至と年の終わりが1週間ほどずれていますが、私はこれを一致させられないかと考えています。

 おそらく古代において人類が暦を作り始めたころは、昼間が一番短くなる冬至が年の終わり、その翌日の昼間の長さが回復し始める日が、年の初めだったのだろうと思います。一方、月の満ち欠けによって日を数えることも、世界中の多く地域でごく自然行われていました。冬至ー春分ー夏至ー秋分という太陽を基準とした季節の巡りと、月齢による「月」のサイクルにはどうしてもずれがあります。(今年はたまたま冬至の翌日が新月「朔」でしたが…)

 それに加えて、古代国家が成立すると、暦の制定・公布に皇帝やら教皇やらといった権威が絡むようになったため、天象と暦のずれの是正が簡単にできなくなり、現在の暦にもそのずれが引き継がれてしまいました。

 現在、世界でデファクトスタンダートとなっている暦は、16世紀にローマ・カトリック教会が定めたグレゴリウス暦です。ほぼ世界共通といって良い状況ですが、イスラム諸国などでは今でもイスラム暦との併用が行われているようですし、ヨーロッパ諸国でもカトリックではない国々では導入が遅れました。特にロシアなどは20世紀に入ってもロシア正教に基づくロシア暦を使っていました。

 そこで提案なのですが、国連などが提唱して冬至を1年の終わりとする新しい暦に改暦してはどうでしょうか。特定の宗教に偏ることもなく、天文学的に正しい暦であれば、国際的な合意を取り付けることも可能だと思うのですが…。

 暦のずれ、といえば何年か前に「旧暦ブーム」というのがありました。これは生半可な知識に基づく実に間抜けな議論でした。

 「旧暦ブーム」で言われていたことは、概ね「明治時代以前に使っていた旧暦の方が、日本の季節感に合っている。旧暦に従うことで日本の文化的伝統を取り戻し、健康にも良い生活ができる」ということでした。

 毎年微妙に異なりますが、一般に、旧暦の月日は、現在の「新暦」より大体1か月くらい遅くなることが多いのです。そのため、新暦の月日を基準として伝統行事を行うと、多少季節感に合わないことになります。例えば正月です。よく正月を「初春」といいますが、新暦の1月に初春といわれても、全然「春」を感じない、これは事実です。

 しかし、「旧暦」なら季節感と暦が一致するのか、というとそんなことはありません。

 明治以前に使われていた旧暦(太陰太陽暦)は、今でもカレンダーの隅っこに記されていることがあります。この旧暦の仕組みをざっとおさらいします。

 旧暦では月の満ち欠けで1か月を決めるので、新月の日が1日、三日月の日は3日、毎月15日は満月の十五夜になります。月の満ち欠けの周期は約29.5日なので、1か月が29日の小の月と30日の大の月を繰り返し、12カ月は354日となります。イスラム暦などはこれをそのまま1年としています(純粋な太陰暦)が、季節の原因である地球の公転(地球が太陽を回る)周期は約365.25日なので、これだと1年に11日ずつ季節と暦がずれていきます。旧暦ではこれを調整するために19年の間に7回、閏月を入れ13か月ある年を作ります。このように太陰暦に太陽を基準とした修正を加えているので旧暦は「太陰太陽暦」と呼ばれます。しかし、この修正を加えても旧暦においては暦の月日と地球の公転による季節の循環は前後半月ほどずれることがあり、その差は「新暦」よりずっと大きくなります。

 これでは困るので旧暦においては、月日と関係なく、地球の公転周期に基づいた二十四節季という区分を設けて生活サイクルの指標にしていました。今もよく使われる「立春」とか「大寒」とかがそれです。「旧暦ブーム」で主張されていた「季節感との一致」云々は、この二十四節季に従った生活、という意味でしょう。二十四節季は地球から見た太陽の動きによるので、そのサイクルは太陽暦そのものです。だからむしろ今のカレンダーの方が二十四節季と月日のずれは少なくなっています。今の暦で困ることがあるとしたら、日付と月齢が一致していないことくらいですが、街灯のない田舎や山奥にでも行かない限り、夜間の月の明るさを気にすることはないでしょう。

 「旧暦ブーム」を支持していた人たちは、こういった暦の仕組みを全く理解していなかったのだと思います。