校長室ブログ

2021年5月の記事一覧

5/24 一山行者カムバック!(道と史跡8)

 今日から中間考査です。

 いつも静かな与野高校ですが、試験中は一段と静かでまるで人がいないようです。ただ休み時間になると、緊張から解き放たれるせいか、悲鳴とも雄たけびともつかない声が聞こえてきたりします。

 さて、今回はちょっと妙なタイトルですが、天気も良いので久しぶりの近隣史跡巡りシリーズです。

 いつもおなじみの本町通を本校の位置から200mくらい北上します。ファミリーマートの向かい側に「一山神社」の看板と赤い灯篭が立っています。そこから、石畳の参道を入っていくと、普通の民家の庭先のようなところに入ってしまい一瞬戸惑いますが、そのまま奥に進みます。

 すると突然異次元の世界に入ったかのように、立派な石の鳥居とうっそうたる境内林、立派な社殿を持った神社が現れます。

社殿正面の透かし彫りも見事です。

 表通りからちょっと入っただけでこんな森厳な空間が現れるとは、ちょっとびっくりですが、これが「一山神社」です。

 この神社は何をお祀りしているのかというと、少彦名命、誉田別命、一山大神とのことですが、やはり中心は社名にもなっている一山大神でしょう。この一山大神とは、江戸時代後半に各地に木曽御嶽山の信仰を広めた一山行者を神格化したものです。

 一山行者は相模国(神奈川県)津久井村(相模湖の近く)で生まれ、与野の井原家の婿となりました。しかし、ある時発心して円乗院(本校の南隣のお寺)で僧となり、木曽御嶽山などで修験道を修め行者となりました。各地で尊崇を集め、与野にもたくさんの信者がいました。そして行者が亡くなった後、与野の一山講(信者団体)が、木曽御嶽の神と一山行者を祀るために、元は八幡神社であったところを、一山神社としたとのことです。

 こうしてみるとすっかり与野の人ですが、なぜかネットで一山行者を検索すると、与野の一山神社ではなく、東京都大田区の御嶽神社のHPが最初にヒットします。また2年前に大田区立博物館で特別展「嶺の御嶽山と一山行者」という展覧会も開かれたようです。これらのHPを見ると「一山行者は荏原郷嶺の木曽御嶽を祀る祠を再興して御嶽神社を開き、大いに御嶽信仰を広めた」的なことが書いてあり、与野出身であることにも一応は触れていますが、まるで大田区が一山行者の活動の中心、本場であるかのようです。

 これって、なんとなく「横どられ」感がないですか? 

 あえて平地に乱を起こそうとは思いませんが、せっかくの与野の生んだ歴史上の人物なのに、大田区に取られてしまっているようなのは残念です。与野(中央区)でも、もっと一山行者を顕彰し、郷土の偉人として奪還した方がよいのではと思います。

5/21 科学部の表敬訪問に行ってきました。

 昨日(5/20)、科学研究部(虹班)の諸君と表敬訪問に行ってきました。

 これは、科学研究部の「過剰虹のメカニズム」が、日本学生科学賞の全日本科学教育振興委員会賞を受賞したことによるものです。大野県知事(写真上中央)、木下県議会議長(写真中前列中央)、高田教育長(写真下中央)を訪問し、成果を報告するとともに激励の言葉をいただきました。

 写真(3枚とも)で右側に立っているのが水吉君、左側が村田君です。上の2枚の女子生徒は、本校とともに日本学生科学賞(学校賞・旭化成賞)を受賞した坂戸高校の生徒です。

 私などは、着任したばかりで今回の受賞にあたって何の役にも立っていないのですが、役職上、科学部の諸君のお供をさせていただきました。詳しくは科学研究部のページに乗ると思いますので、まずは速報まで。

 

 

  

  

5/14 身辺雑記

 ここのところ、もう梅雨が来たか? という感じの曇りや雨の日が続いていましたが、今日は気持ちよく晴れています。

 とはいえ、全国のコロナウイルスの陽性者は目立った減少を見せておらず、蔓延防止対策はまだしばらく続きそうです。世界に目を転じれば、パレスティナとイスラエルの紛争が再燃しているという話もあります。新しく買った靴は、かかとのパッドのあたりがきつく、靴擦れをするし…。なぜ、こううまくいかないのかと思うと気が滅入ってくる感はあります。

 そんなときは、気分を変えてくれるような物事を身辺に探すしかありません。

1、バラがきれいです。

 与野というと、与野公園のバラ園が有名ですが、旧与野市時代から「バラの町」づくりに取り組んでいたため、町のあちこちにバラが咲いています。与野本町の駅前広場のバラ園もきれいですし、住宅街の民家にもちょっとしたところにバラが植えてあります。

 現代だと「○○の町」として、町おこしをするのは当たり前になりましたが、旧与野市は半世紀以上前からそれをやっていたわけです。町の特色を強く印象付けるだけでなく、見る人の心を和ませてくれる旧与野市の素晴らしい遺産だと思います。

 

2、こんな神社を見つけました。

 先日、1号棟の廊下から何気なく外を見たところ、本校のすぐ北側に「八雲神社」という看板を発見しました。

 夕方、帰宅のついでに見に行ってみると、仲町公民館と神社を兼ねた建物でした。鳥居もなく、外見も屋根がかまぼこ型をしたちょっとおしゃれな民家といった感じで、一般的な神社のイメージとはだいぶ違います。しかし、本来、そこに神様が祭ってあれば神社なのであって、社殿の有無や建築形式などは些細な問題です。神社の前に、この神社は近隣の方の厚意によって建てられたという石碑がありました。与野というのは、前の「塚巡り」の時も思ったのですが、非常に敬神の念の厚い土地柄のようです。

 しかし、八雲神社とはありがたい(個人の感想です)。

 社号を八雲神社というからには、おそらく京都の八坂神社の末社で、祭神はスサノオノミコトでしょう。スサノオノミコトは垂迹説では「牛頭天王」と同一視されます。牛頭天王とは字の通り牛の頭に人間の体をした古いインド系の神様です。この牛頭天王のまたの姿が「武塔大神(むとうたいしん)」といわれ、疫病退散に霊験があるといわれる神です。

 前任校の近くにも、やはり「八枝神社」という八坂神社の末社がありました。昨年度、前任校で生徒・教職員に何人かコロナ陽性者が続いたことがありましたが、昼休みに八枝神社に行ってお札をいただいて(もちろん公費ではなくポケットマネーで)きたところ、そのあとはなぜかぱったりと陽性者が出なくなりました(因果関係は不明ですが)。というわけで、このコロナのご時世に本校の隣に疫病退散に霊験あらたかな八雲神社があるというのは、大変心強い気がしました(しつこいようですが個人の感想です)。

 

 

 

 

 

5/7 連休の谷間にて

 大型連休と思っていた今年のゴールデンウィークも、残すところ明日、明後日のみとなりました。子供のころから次の休みを指折り数えて待っていたお休み好きの私としては、断腸の思いです。

 私のここまでの連休の過ごし方を振り返ってみると、前半は日曜大工、後半は読書や庭掃除と、中間の5月3日に本校吹奏楽部の定期演奏会を聴きに行ったほかは、あまり外出もせずに過ごしました。

 吹奏楽部の定期演奏会も、通常であればこのページなどでも盛大に告知し、なるべく多くの方に来てもらうところなのですが、今年はコロナのご時世ですので、観客は部員のご家族と教職員だけという、内覧会のような感じで行いました。多くのお客さんに聞いていただけなかったのは、ちょっと残念でしたが、しっかり練習を積んだいい演奏でした。

 それにしても、コロナウイルスの流行も2年目に入りました。もしもう1年今のような状況が続くと、高校にとっては大変な危機になります。現在の3年生は、1年生の時は「コロナ以前」でしたが、いよいよ自分たちが部活や行事の主役になるというときにコロナの流行が始まってしまいました。2年生は1年生の時にまともに部活等が出来ていませんし、1年生は中学校で同じような状況でした。1年後に現3年生が卒業してしまうと、高校には高校の部活や行事をきちんと経験したことのある生徒がいなくなります。様々な伝統や校風、各校独自の文化などの継承が危ぶまれます。1日も早く流行が終息してほしいものです。