2021年6月の記事一覧
6/18 まさに徒然
今日はいい天気ですが、ここのところ雨続きでしたし、学校の方も今週は三者面談週間で、行事らしい行事もなかったので、更新間隔が少し開き気味になってしまいました。ここは、かなり無理やり書き込んでみます。
まず、無理やりの話題1番目の「歩幅を広く」から。
このブログを一体どんな方が読んでいるのかわかりませんが、中高年で、最近どうも歩くのが遅くなった、という方はいませんか。私は、近年それをひどく自覚しています。昔は、出退勤時に生徒に追い抜かれることなどなかったのに、最近は小柄な女子生徒にもホイホイ追い抜かれてしまいます。また、数年前までは、ちょっと頑張れば1kmを4分30秒のペースで5~10kmくらいのランニングができましたが、今は1km5分がやっとです。
それがなぜかというのは実はわかっています。1歩当たりの歩幅が短くなったからです。この数年運動時にはGPSで距離が測れる時計を使っていますが、以前の記録と比較するとウォーキングで5cmくらい、ランニングで10cm近く歩幅が短くなっています。加齢による衰えもあるのでしょうが、いつもと同じように歩いたり走ったりしているつもりなのに、だんだん記録が落ちてきています。
というわけで、昔の力を取り戻すべく、最近は歩くときも走るときも意識的に歩幅を広くとるようにしています。その際、股関節から脚を動かすのではなく、その上の腰骨全体を脚の動きに合わせて左右に振り出す感じで体を使うと、歩幅が少しづつ長くなります。この歩き方(走り方)は筋肉への負担が高くて疲れるのですが、確実に早く歩け(走れ)ます。意識しなくてもこの動きができるよう身体を慣れさせていこうと思います。
無理やりの2番目は、「星がチカチカ、って本当にあるんですね」という話です。
上記のようなわけで、先週の土・日にはちょっと長めのランニングをしてみたのですが、次の日の明け方、足がつりました。ふくらはぎの筋肉が勝手にビクビク動いて、強い痛みが走ります。痛みをこらえるためにギュッと目をつぶると、まぶたの裏に沢山の青い光点がチカチカしているのが見えました。昔の漫画で、何かに激突したり人に殴られたりした時に、目の前に星が飛んでいる表現がよくありましたが、それにそっくりです。どういう作用でチカチカするのか不思議ですね。
足がつるのは、筋肉の疲労や水分やミネラルの不足によって引き起こされるようですから、栄養分の補給とともに、ランニング等の運動にあたっては無理をしすぎないことです。とはいえ、私のような気の短い中高年は、無理をしてしまいがちなのですが…。
今回は、若くて元気な人には関係のない話題ばかりで恐縮です。しかし、新型コロナウイルスによる自粛ムードで家にこもりがちな昨今、運動不足で筋肉が減り、熱中症になりやすくなってしまう人が多いそうです。ウォーキングやランニング(そのついでに史跡巡り)は一人で黙々とできる運動ですから、せっせと取り組みたいと思います。
6/7 三貫清水緑地の「鎌倉街道」(道と史跡10)
皆さん、休日はどう過ごしていますか。
私の場合、ごろごろ寝っ転がって過ごすというのが、どうも苦手です。とはいってもどこかへ遊びにいくお金もないので、公営のスポーツセンターへ行ったり、近所を走ったりしています。その成果を発表します。
このページでは鎌倉街道「羽倉道」について断続的に書いています。今回もその続きです。本校の前から本町通を北上し、6/1の本欄で取り上げた氷川神社から並木南町分岐を右にとって進みます。2~3kmくらい行くと、4/19の本欄で取り上げた櫛引の板碑や日進神社です。さらにこの道を突き進むと日進駅の西側で埼京(川越)線を渡り、17号バイパスも横切って、さいたま市立大宮北高校の近くへ出ます。
大宮北高校のグランドの南側に「三貫清水緑地」という公園があります。その公園を南北に貫いている道が昔の「鎌倉街道」とされています。台地から鴨川の低地に下る斜面林の中にあり、がけ下にはかつて太田道灌公が激賞した名水が湧出しているという、隠れた名所です。まさに鎌倉街道という風格を感じさせる道で、ご近所の方の絶好の散歩道となっています。
この道の北側の突き当りは大宮北高校のグラウンドですが、高校敷地の西側に沿ってきれいな水の流れる側溝があり、北西の角に「弁財天」の祠があります。弁財天(弁天様)は元はインドの川の神です。日本では、ほとんどが水辺(有名なところでは江の島や琵琶湖の竹生島、近場では与野公園の天祖神社の池の小島など)に祀られています。ここに弁財天があるということは、この地域に水にまつわる信仰があることを示しています。
大宮北高校グラウンドの北側の辺から北上する路地を進むと太い道との交差点に古い道標と馬頭観音が立っています。道標には、東は「あげおいわつき道」「ぢおんじ道」、西は「あきば道」、南は「よの道」などど書いてあります。この東西に交差する道も秋葉神社に参詣する人が通った古い道筋です。いやあ風情がありますねぇ。
さて、しかし、ここまで書いておいて何ですが、ここで私は「上に写真を載せた『鎌倉街道』は本当に鎌倉街道なのか?」という疑問を提出したいと思います。
「さいたま市教育委員会が指定してしているものに文句をつけるなよ!」という声が聞こえてきそうですが、私にも疑問を提出するだけの根拠はあります。
まず、この道の通っている場所です。昔の街道はたいてい台地の鞍部(一番高いところ)を通っていることが多いものです。その方が水害等に強くなりますし高低差も少なく工事が楽です。三貫清水緑地の「鎌倉街道」は雰囲気は素晴らしいですが、この原則に外れ、斜面林のかなり崖下に近い場所を通っています。これでは鴨川があふれたらすぐに水につかってしまいそうです。
次に、この「鎌倉街道」は以前紹介した櫛引の板碑と日進神社のあるルートの延長上にありません。下の地図は、左側が例の「明治迅速図」で右が今の地図です。三貫清水緑地の「鎌倉街道」とされているところは地図上に「〇」をつけた場所です。
ご覧の通り、左の迅速図ではここには道が書いてありません(少なくとも太い道はありません。曲がった細い線は等高線です)。地図上に赤線で書き加えたものが、櫛引の板碑からまっすぐに北上するルートで、三貫緑地公園の「鎌倉街道」より100mくらい東側になります。赤い線の北の突き当たりが先述の道標と馬頭観音になります。この赤い線は今の地図では大宮北高校の敷地で分断され、東寄りに迂回した新しい道が作られていますが、このルートであれば、斜面林を登り切った台地上を通るルートとなり、先ほどの昔の街道の原則も満たします。こちらが本当の鎌倉街道なのではないでしょうか。
さいたま市教委(旧大宮市教委)は、どのような根拠から三貫緑地公園の中の道を「鎌倉街道」に比定したのでしょうか。発掘調査の結果とかなら文句はありませんが、もともとはただの森の中の間道だったものを、いかにも古道らしい雰囲気に流されて「鎌倉街道である」としてしまった可能性も無きにしも非ずだと思います。私的には、上述のような理由から、この道が鎌倉街道というのは怪しい(本当に素晴らしい散歩道ではあるのですが)と思っているのですが。
6/3 体育祭速報(2)
体育祭午後の部です。心配された天候も持ち、すべてのプログラムを無事終えることが出来ました。
団対抗は午前中のリードを保ち黄団が優勝しましたが、青団、赤団も頑張り、とても面白い体育祭になりました。
特に大トリのブロック対抗20人リレーは、男女各10人でトラックを10周もするレースでしたが、どの団も精鋭を集めたのか、1位と2位がほんの1歩差という接戦でした。
【青組ブロック演技】(女子のセーラー服や男子の青いシャツとネクタイはダンス用の衣装です。本校の制服ではありません。念のため…)
【黄団ブロック演技】(男子もいたんですが映ってないですね。すみません。女子だけひいきしているわけでは、決して…おそらく…多分…ないです。)
【赤団ブロック演技】(この黒いセーラー服等もダンス用です。)
【忍者リレー】(前を走るチームの布を踏んでバトンを落とさせることが認められているので、順位が目まぐるしく入れ替わって面白い競技です)
【ブロック対抗20人リレー】(上記の通り、ゴールはこの僅差でした!)
それにしても、今日の体育祭を見て思ったのは若いって素晴らしい、ということです。地面を力強くけった足がきれいに跳ね上げられ、前にすっと伸びていくのは、年寄りには決してまねのできない美しい光景です。
本当にいい体育祭だったと思います。
6/3 体育祭速報
今日は体育祭です。天候にも恵まれ朝から熱戦が繰り広げられています。
団対抗ポイントは黄団が抜け出し、赤団と青団が競り合っている状態で午前を終えました。午後のブロック演技や各種リレーの結果次第で、まだまだ勝敗の行方は分かりません。
男子100m予選
ボール運び
大縄跳び
部活対抗リレー
6/2 体育祭予行
今日は体育祭予行でした。体育祭本番に向けて、団体種目の練習や会場準備を行いました。
ここのところはっきりしない天気が続いていますが、今の時期、気持ちよく晴れると、熱中症の心配もありますし、今日のようにほどほどの曇りで、熱くもなく寒くもなくという天候がベストだと思います。本番も同じような天気になってくれるとよいのですが。
6/1 もう6月ですか。& 氷川神社探訪(道と史跡9)
はや6月になりました。
学校の方は体育祭の準備が本格化していますが、今年度はコロナウイルスの状況に鑑み、保護者の方への公開も行ないませんので、ご理解願います。体育祭当日の様子は、このブログや他のコーナーでもお伝えしていきます。
さて、昨日の昼休みに上町の氷川神社まで行ってきました。本校から本町通を1kmほど北上したイオンモール与野のすぐ南側の道の屈曲部にあります。昼休みの時間内に足を延ばせるのは、ここら辺が限界でしょうか。
本家本元の大宮の氷川神社ほどではありませんが、なかなか立派な神社です。ここの本殿は300年ほど前の宝永年間に作られたもので、小ぶりですがかっこいい建物です(写真は撮り忘れました (-_-;) )。
境内にはたくさんの摂社(一緒に祀られている小さい神社)や地元の方が献納した灯篭などがたくさんありますが、その中でも目を引くのが、この庚申塔です。享保4(1719)年とあるのでちょうど300年くらい前のものです。
なぜか境内に立っていますが、庚申塔は道端に道標を兼ねて立てられることが多いのでどこかから移築されてきたものと思われます。両側面を見ると「これより左川越道」「これより右大宮道、奥州道」と道案内が書かれています。
この「右・左」をさいたま市HPなどでは、この氷川神社の所の分岐であるとしています。だとするとこの庚申塔は鳥居前あたりにあったことになります。ですが、私はこの庚申塔は、本町通を北へ1kmほど行った「並木南町」バス停の近くの分岐に置かれていたものではないかと思います(私の考えすぎで、さいたま市HPの記述には確かな根拠があるのかもしれませんが…)。
理由ですが、まず例の「明治期陸軍迅速測図」でみると、神社の所から右に分かれる道も確かに大宮方面へは行きますが、非常に細く描かれていて街道筋のようではありません。次にこの道だと「大宮道」はともかく「奥州道」への接続があまりきれいに描けません。一方、「並木南町」の分岐点から伸びる道は、はっきり太く描かれているだけでなく、以前紹介した「櫛引の板碑」の場所へつながる旧羽倉道の想定ルートであり、上尾近辺から菖蒲・幸手方面へ抜ける道がたどれます。
あとこの庚申塔でちょっと謎なのは、「川越道」の面は流麗な行書っぽい書体なのに、反対の「大宮道・奥州道」の面は律儀な楷書体で彫ってあることです。どちらかの面は後から彫り足されたりしたのかもしれません。
学問的に正しいのかはともかく、こんなことを考えながら歩くと、退屈しません(ブラタモリみたいですね)。
氷川神社の近くには「出世稲荷」や、「与野聖人」と呼ばれた大学者の西澤曠野先生の墓所などもあります。生徒の皆さんは出世稲荷にお参りしておくとよいかもしれません。