2021年9月の記事一覧
9/29 "Dreams never come true."(夢と言っているうちは…)
いきなりですが、昨晩またいやな「夢」を見てしまいました。私は「夢」があまり好きではありません。
夏目漱石に「夢十夜」という連作短編があります。この作品には、様々な人が心理的な解釈や寓意的な解釈をつけていますが、私は夏目漱石は単に自分の見た夢をなるべく忠実に、思い出したとおりに文章に起こしただけではないか、と思います。夢は見ているときは納得できているのに、後から思い出そうとするとつじつまが合わず、文章化しようとしても手に負えなくなってしまいがちです。さすがは文豪夏目漱石で、「夢十夜」では、その夢特有の不合理で不気味で不安な雰囲気がうまく再現されています。夏目漱石も多分、夢を見るのは嫌いだったのではないかと思います。
さて昨晩見た夢ですが、その夢の中では私はまだ新人のようでした。
私が教員となったのは、パソコンが学校の業務に入り込みだした1990年代です。パソコンのような新しいものは、なんとなく流れで「若い人にお願いします」となり、私は新人1年目から校務分掌とは全く関係なく、成績処理や入試業務、機材のメンテナンスまでやっていました。しかも、当時は新人採用数が少なかったので、後輩が入ってくることもなく、私は初任校にいた8年間、ずっと「若い人」のままでした。
さて、そんなわけで昨晩の夢では、なぜか新人時代の私がプリンターの修理に取り組んでいました。調子の悪くなったプリンターを分解・清掃して再度組み立てているのですが、メーカーも機種もバラバラで訳が分からなくなり、ようやく組み立てたかと思ったら用途不明の部品がポツンと余っているという具合…。またやりなおしか! ということが延々と繰り返されていき、途中でさすがに「これは夢だ」と思うのですが、夢からの出口が見つからない…。
何か先週放送していた「鬼滅の刃 無限列車編」のようです。こんな感じで私の場合、覚えている夢はたいてい悪夢なので、夢はあまり好きではありません。
「夢」という言葉は、キング牧師の"I have a Dream"のように、「夢」=「目標」のような意味でつかわれることがありますが、私は「夢」という言葉を、そういった形で使うのも好きではありません。自分が目指しているものについては、はっきりと「目標」と言うべきだと思います。「目標」であれば、達成のための道筋や手段を具体的に考えて、実現できるよう努力するだけです。それを「夢」と言ってしまうと、実現できなかった時に言い訳の余地を残してしまうようで、不愉快だからです。私は「"Dreams never come true"(夢と言っているうちは絶対にかなわない)」と思います。若い人たちは、漠然とした「夢」ではなく、具体的な「目標」をもちましょう。
9/14 キンモクセイで考える
先週の終わりくらいから、歩いているとあちこちでキンモクセイのいい匂いを感じるようになりました。
昨日は与野本町の駅前の遊歩道のキンモクセイも花が鈴なりでした。キンモクセイが咲くと「秋が来た」という感じがします。
そこで、ふと思ったのが、こういう場合「匂い」と「香り」のどちらの言葉を使うべきか? ということです。
ネット等で調べると、「匂い」は快く感じる場合も不快に感じる場合も両方で使うが、「香り」は快く感じるときだけ、というような説明が書いてあります。確かに「くさい匂い」とは言いますが「くさい香り」とは言いません。しかし、この説明だけでは私としては物足りない気がします。
どういうことか、というと「匂い」の方が本能的で、身体に密着した直感的な言葉だと思うのです。キンモクセイの花をかいで、最初に頭に浮かぶのは「あぁ、いい匂い」という感情で、それを言語化するときに「キンモクセイの匂い」と表現するか「香り」というかを選んでいるわけです。そこに判断のフィルターが入っているわけで、「香り」の方が、理知的というか、他人事というか、ちょっとよそよそしい感じです。
この説明を、もっと感覚的に言うならば、前に流行した瑛人の「香水」という曲の「ドルチェ&ガッバーナの香水のせいだよ」というような場合、歌の主人公が感じているのは「香り」ではなく「匂い」だと思います。って何となくわかっていただけるでしょうか。
言葉の世界というのは奥深いですね。こんなことを考えているとあっという間に時間がつぶれます。
9/8 文化発表WEEK
今年度も新型コロナウイルスのため文化祭が中止を余儀なくされました。
文化祭実行委員や生徒会のみなさんが一生懸命準備をし、パンフレットの印刷なども済んでいたのですが、緊急事態宣言の延長とあってはやむを得ません。
しかし、各部や各クラスではぎりぎりまで準備を進めていましたので、その成果をせめて校内では共有しようということで、今週は「文化発表WEEK」として、校内で作品の展示やステージ発表予定だった団体のビデオ発表などを行っています。
科学研究部のコーナーで、サボテンの配布を行っていましたので、私も目が(?)あった鉢を一株いただくことにしました。そういえば、昔、サボテンは人の言葉がわかるとか、音楽を聞かせながら醸造するとお酒がうまくなる、とかいう話がありました。そんな話は信じていませんが、いただいたサボテンは心の友として大事に育てたいと思います。
それはともかくとして、コロナ禍が去って、生徒のみなさんがのびのびとした学校生活が送れる日が、一日も早く来ることを祈るばかりです。
9/2 製作過程
前回、ついにそのベールがはがれた(大袈裟ですね…)夏休みの秘密プロジェクト、本校マスコットの制作過程を大公開します。この記事の通りにすれば、だれでも低コストでマスコット人形が作れるという大変実用性の高い(高いか?)内容ですね。
まず、下が美術部の人にデザインしてもらった原図です。この原図は大変可愛いのですが、男の子の口の部分などが割と動物っぽさを残した表現となっています。これを立体でリアルに造形するとちょっと不気味な感じになりそうです。あとモフモフ感も表現が難しいところです。まあ、この辺は後で考えることとして(結局、後でも考えないのですが…)とにかく手を動かしていくことにします。
ホームセンターで、発泡スチロールの板(5cm厚)を買ってきます。
これを重ねて発泡スチロールのブロックを作ります。今回の人形は身長120cm程度、耳30cm、頭30cm、胴体60cmくらいの配分で考えます。ちなみに発泡スチロールは四角いブロック状のものも売っていますが、ブロックは価格が高いので、板を貼って作る方がお得です。
ブロックを作ったら、マジックペンでおおよその当たりをつけます。あとはひたすら削って形を削り出していきます。使う道具は木工用の大型のカッターナイフだけです。
まずは頭部からです。頭の髪の毛の部分や口元など、発泡スチロールではエッジが崩れてしまう部分は、100円ショップで売っているソフト粘土(ホイップ状のチューブに入ったものがお勧めです)で作ります。
頭部ができたら胴体、腕、手、その他付属品と作っていきます。細かいことは考えず、ひたすら手を動かしていくといつの間にか形が出来てきます。
形が出来たら表面に書道用半紙を貼っていきます。半紙は書道の先生から角が折れてしまった古いものを譲ってもらいました。これを小さく切って、水で薄めた木工用ボンドに浸し、貼っていきます。
工程のこの部分は退屈な単純作業(なので写真は撮っていません)でつらいのですが、これをしないと表面の細かな凸凹や、発泡スチロールと粘土のつなぎ目などが目立ってしまいます。また、発泡スチロールが表面にむき出しになっていると、完成後の人形をちょっとぶつけただけで、削れたり欠けたりしてしまうので、表面の強化のためにも省略しない方がよいでしょう。
紙が貼れたら色塗りをして仕上げです。面積が大きいのでコンプレッサーを使ってアクリル塗料をエアブラシで塗っていきます。この作業は楽しいのですが、あっという間に終わってしまいます。目の部分は塗装ではなく、色画用紙を切り抜いて貼り重ねたもので表現しています。というわけで完成です。原図とはかなりタッチが違いますが、これは解釈の差ということにしておきます。
製作にかかった費用は2体で約1万円、工期は2週間くらいです。8月24日に予定されていた学校説明会や9月当初の文化祭でお披露目しようと猛スピードで作ったのですが、学校説明会も文化祭もコロナウイルスのため中止となってしまいました。「コロナのバカヤロー!」
ちなみに今、この人たちの名前を募集中です。9月25日の学校見学会の前に発表する予定ですので、ご期待ください。