校長室ブログ

2022年6月の記事一覧

6/21 プチ史跡巡り11.5 「お女郎地蔵」に関する補遺

 学校の方は、この間中間考査が終わったと思ったら、もう期末考査が近づいてきました。生徒の皆さんは、怠りなく準備を進めてください。

 さて、今回は前回紹介したさいたま新都心駅前の「お女郎地蔵」に関する追加情報です。

 お女郎地蔵には「昔大宮宿にいたお女郎の千鳥が、将来を言い交した若旦那との恋がうまくいかないのを苦にして、川に身を投げた」という言い伝えがありますが、この話をもう少し調べてみたら、なかなかびっくりでした。

 千鳥の「恋がうまくいかない」原因は何だったのか、と言うと、それは当時関東で暴れまわっていた真刀徳次郎という大盗賊でした。この徳次郎が千鳥に横恋慕し、「自分のものにならなければ大宮宿を焼き払う」と脅しをかけてきたため、千鳥は若旦那への思いと、孤児だった自分を育ててくれた大宮宿の人々への恩義の板挟みになって自殺した、ということだそうです。

 徳次郎は後に幕府に捕縛され、大宮宿のはずれの下原刑場で処刑されましたが、この時、徳次郎を捕まえたのが火付盗賊改方の長谷川宣以、あの鬼平犯科帳で有名な長谷川平蔵でした。千鳥の話はともかく、長谷川平蔵が徳次郎を捕らえたのは史実のようです。

 いや、びっくりですね。長谷川平蔵が実在の人物なのは知っていましたが、本当にこんなドラマチックな活躍をしていたとは…。それに「宿場を焼き払う」とかいう大悪党が時代劇の中だけでなく、本当にいたんですね。天下泰平な江戸時代のイメージを覆すようなバイオレンスなお話です。

 池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」の作品中には、埼玉県内の土地は何回か登場し、長谷川平蔵や部下たちが、深谷や越谷に出動して活躍する話もありましたが、この大宮宿の話を直接モチーフにした回はなかった気がします。今度確認してみたいと思いますが、何しろ全23巻+番外編がいくつかという分量ですし、確認のため本を開いて、うっかり読みふけってしまったりすると大変です。

 余談ですが、上で「恋がうまくいかない」というところは、最初、「恋の先行きをはかなんで」と書いたのですが、読み返してみて「はかなむ」は、もう死語かもしれないと思って書き換えました。若い人たちは「はかなむ」という語の意味をすっと理解できるでしょうか。まだいきている言葉なのでしょうか。

6/17 プチ史跡巡り11(さいたま新都心)

 来年度入学者用の学校案内が出来たので、今、あちこちに配り歩いています。先日は、新都心から北与野方面を徒歩で回ったので、ついでに見かけた史跡をいくつか紹介します。

 さいたま新都心の駅を降りてすぐの中山道の歩道の上に、小さな祠が立っています。

 中には2つの小さな石塔がありますが、右側が「お女郎地蔵」、左側が「火の玉不動」と呼ばれているものです。

 「お女郎地蔵」については、「昔、大宮の宿場女郎に千鳥という評判の美女がいたが、将来を誓い合った若旦那との仲がうまくいかず、高台橋(この後、紹介します)から身を投げて死に、そのあとこの近辺に人魂が飛ぶようになったので、供養のためこの地蔵が建てられた」という言い伝えが残っているそうです。「火の玉不動」には、「昔、このあたりには火の玉が飛ぶということがよくあり、ある日、度胸自慢の男が火の玉に切ったところ、不動様に切りつけてしまったので、ここに不動を祀った」という言い伝えがあります。

 この二つの言い伝えですが、なんとなく「恨みを残して死んだ千鳥が火の玉となり、それを退治しようとしたところ不動に切りつけてしまった」という流れなのかな、と思いますが、建てられた年代をみると不動様が寛政(1800年代)、地蔵様が天保(1830年代)なので、この解釈は成り立ちません。

 このあたりは大宮宿の南の境目であることや、この場所(今のコクーンシティ)が江戸時代に罪人の処刑が行われた下原刑場だったことを考えると、この地蔵様や不動様は、宿の境界を守るためや罪人供養のためのものとみるべきで、上の言い伝えは後付けの様な気がします。

 この祠と中山道を挟んで反対側には、明治時代に作られた高台橋の遺構があります。

 この橋は中山道と鴻沼用水が交差する地点にかけられたものですが、現在は用水の東側部分は暗渠化され、橋そのものも中山道の舗装の下に埋められてしまい、橋の西側側面だけが露出しています。近くで見たいのですが、柵とロープで囲われていて入り込むと怒られそうなので、さいたま新都心駅の京浜東北線のホームから観察します。

  精密に積まれたアーチが良く残っていて実にきれいです。現在もコクーンシティを運営する片倉工業がここに製糸工場を建てたのが明治34(1901)年ですから、おそらくそのころに作られたものでしょう。

 こんな美しい橋のうえにコンクリートをかぶせ無粋な舗装道路にしてしまったのは残念ですが、取り壊されずに埋められているのは、道路工事をした人たちにもこの橋を惜しむ気持ちがあったからかもしれません。これだけ保存状態のいいレンガ積みは珍しく、一見の価値のある貴重な遺構です。

 

 

 

6/13 歩き方考

 この土・日に家でテレビを見ていたら、帯状疱疹ワクチンの接種を呼び掛けるCMを何回も見ました。ナイス中高年な感じの男性が、海の見える公園で意気揚々とウォーキングをしている映像です。帯状疱疹の流行原因についても世間では色々言われているようですが、それは置いておくとして、このCMで気になることがあったので、それについて書きます。(今回も全く学校や教育活動と関係がないですね。)

 何が気になったのかというと、それは男性の歩き方です。胸を張って腕を大きく振り、膝をまっすぐに伸ばし足を振り子のようにけり出して歩く、という歩き方をしています。これはウォーキング入門の雑誌や新聞の記事、インターネットのサイトなどでよく見る歩き方で、良いフォームとして推奨されているものです。

 しかし、私はこの歩き方は足腰を痛める歩き方だと断言します。

 この歩き方が推奨されているのは、腰の関節を回転軸とし足の裏を大きな車輪の一部と見て、これを地面に転がすように歩けばエネルギーの無駄がないと考えたからだと思います。しかし、これは机上の空論です。この歩き方をすると、足はかかとから接地することになり、膝も突っ張った状態なので、着地の衝撃はまっすぐ膝や腰に伝わってしまいます。試しに硬い床の上で裸足でこの歩き方をしてみましょう。かかとが痛くて長くは続けられないはずです。

 現在のウォーキング用の靴は衝撃吸収性能が優れているので、この歩き方でもすぐに膝を痛めたりはしないでしょう。しかし、張り切って長い距離を歩いたりすれば確実に膝や腰を痛めてしまうと思います。人間の足には、足首の関節や土踏まずのアーチなど衝撃を吸収するための構造が備わってるのですから、これを生かした歩き方をするべきです。

 ではどんな歩き方ならよいのか、というのは難しいですが、私が実践している歩き方は次のようなものです。

 まず、足は振り子のように前にけり出すのではなく、後ろ側の足で体を前方に押し出しながら、前側の足はなるべく水平に前に出します。そして膝もまっすぐ突っ張るのではなく、少し緩めた状態で、足裏全体をまっすぐ下におろして着地させます。全体としてはすり足のような動きで、胸も後ろへそらすのではなく、力を抜いて前に体重を落とすような感じになります。この歩き方は前に進むために、後ろ脚のふくらはぎの筋肉を使うので、始めたばかりのころはふくらはぎが疲れますが、着地の衝撃は土踏まず、足首関節、膝関節と分散吸収するので、膝や腰への負担が軽くなり、長い距離を歩いても痛めることがありません。

 ちなみにランニングの方ではフォアフット(つま先)着地やミッドフット(足裏)着地がよい走りとされ、かかと着地はヒールストライクと呼ばれあまりいい走り方とはされていません。(最近、厚底シューズのブームで靴の性能が上がり、ヒールストライクも復権してきましたが…)

 なぜ、ウォーキングではヒールストライクが推奨されているのか、不思議です。このページを読んでいる皆さんがもしウォーキングをしていたりこれから始めようとしているのなら、ぜひ安全な歩き方を工夫してみてください。