2022年8月の記事一覧
8/30 今日から2学期です。
本校では、今日から2学期です。
始業式では、先週のPTA全国大会で聞いた中室先生の話の例を引いて、自分が自分に抱いている自己イメージのマイナス部分を打破して、良い方向に変えていこうという話をしました。また本校では、今週末に文化祭(限定公開)、1か月後に修学旅行を予定していますので、新型コロナウイルスの感染拡大防止に一層の注意を呼びかけました。
8/29 行ってきました。金沢へ
先週、全国PTA連合会の大会があり、金沢市へ行ってきました。
一日目は分科会、二日目は記念講演がありました。分科会は、慶應大の中室教授とはなまる学習会の高濱先生がパネリストを務められた第一分科会に参加しました。
中室教授は6~7年前に「『学力』の経済学」という著書を出版され、「教育経済学」の認知度を高めた功労者です。私的には、先の著書も含め、中室先生の説明はきれいに物事を片付けすぎていてちょっと眉唾なところがあるように思っているのですが、今回の分科会で紹介していた事例には一つ面白いものがありました。
「とある進学校では入試時の成績と1年生最初の試験の間には相関がほとんど見られない。ところが最初の試験と学年末の試験の間には強い相関がみられる。」というものです。より具体的に言えば、入試時に上位合格した生徒でも最初の試験で低い成績をとると、そのあとの成績も低くなり、ぎりぎり合格した生徒でも最初の試験でよい成績をとると、そのあとの成績もよくなる傾向があるということです。
つまり最初の試験で自分について「自分は勉強ができない」というイメージを作ってしまうと、本来のその生徒が持つポテンシャルにかかわらず、そこから脱却するのは難しくなってしまうのです。我々学校関係者にとっては、興味深くもあるが深刻な課題です。
二日目の記念講演では、元ファミリーマートの社長の澤田氏が「経営はどこまでもお客と加盟店のためを考えるべきである」と力説されていました。私たち県立学校の職員としては「生徒のために」と置き換えて考えるべきかと思いました。
二日目の午後は、せっかく金沢まで行ったので(年休をとって)駆け足で兼六園や主計町茶屋街を回ってきました。金沢は戦争中も空襲を受けなかったので、旧市街には歴史的な街並みがよく保存されています。
上の写真1枚目は兼六園の夕顔亭という茶室、2枚目は霞が池です。
下の写真左側は茶屋街の中でも人気スポットの「明り坂」右は表通りにあった洋風建築のお店です。
まだまだ見られなかったところが多いので、そのうちゆっくりと観光に行きたいものです。
8/17 身辺雑記(2)通勤ネタです。
お盆休みも終わり、気が付けばだいぶ日が短くなってきました。とはいえまだ暑いですが…。
さて、先週ですが私は数年ぶりに痛風の発作が起き、右足の膝がはれ上がってうまく曲げられなくなってしまいました。そうなってみると、普段感じないようなことにいくつか気が付きます。
1点目ですが、日本の通勤環境は弱者に厳しい、ということです。特に駅のエスカレーターですが、あれは上りではなく下りで運転をすべきではないかとおもいます。
膝や足首に故障があり関節の動きが制限されていると、階段を下りるのは非常に困難です。故障している足を下の段に降ろして体重を支えるのはつらいので、故障してない方の足から降りるようになりますが、その場合も、上の段に残っている故障した足がうまく曲げらないので、片足とびで降りていくような感じになります。この降り方は非常に不安定で怖いだけでなく、強い衝撃が足にかかるので、いい方の足まで故障しそうになります。その一方、階段を上がる方はゆっくりと上がれば何とかなります。山登りなどをした時によくわかりますが、もともと元気な時でも足に負担が大きいのは上りより下りです。
駅で見ていると、横切るのに苦労するほど長い上りエスカレーター待ちの列ができていることがよくありますが、元気な人たちの横着に迎合するのではなく、足に故障や障害を抱えた人のことを考えて駅のエスカレーターは下りで運転をするべきだと思います。
2点目ですが、最近また電車の中づり広告が増えてきたような気がします。
近年は、広告はドアの上のモニターで流れるようになったり、みんなが手元のスマホを見るようになったりで、すっかり数が減っていた中吊り広告ですが、今朝乗った埼京線では久しぶりにたくさんの中吊りを見ました。
電車内でスマホを見ていると、スマホと目の距離を確保するために、腕を前に突っ張り、背中をのけぞらせた姿勢になります。最近は怒りっぽい人が増えたので、その姿勢がトラブルのもとになったりします。視線を動かすだけで読める中吊りの方が、暇つぶしとしては優れています。
昔は新聞や文庫本を持たずに電車に乗ってしまった時は、他にやることがないので中吊りを見ていたものでした。週刊誌の中吊りなどはライバル誌(週刊ポストと週刊現代とか、女性自身と女性セブンとか)が張り合って中吊りをだすので論調の比較ができましたし、書籍の中吊りでは、怪しい健康法やビジネス書に「初版たちまち何万部!」みたいな文句が書いてあって「本当かな!?」と思ったり、なかなか楽しいものでした。みんなもっと中吊り広告を楽しみましょう。
8/10 身辺雑記
毎日あついですね。身辺の話題を二つ。
【話題1】 温暖化について
先日、生徒と話をしていて気づいたのですが、彼ら・彼女らは連日35度を超える夏の気温を異常だと思っていないようです。生まれたときからそうだったから。つまり、今の状況を温暖化したと感じるのは、まだ涼しかった1970~80年代を知っている50代以上の人だけなのです。
マスコミでは、二酸化炭素排出量を減らせば温暖化が止まり、涼しくなるかのような言説が目立ちます。しかし、これは極めて疑わしい話です。
このブログでも何度も書いていますが、現在の温暖化の原因は不明です。わずか数十年のうちに平均気温が大きく変動する事態は過去10万年くらいの間にも何度も起きています。縄文時代には、今よりはるかに気温が高く、海水面が今より10m以上高かった時代もありました(縄文海進)。これが少なくとも化石燃料の燃焼による二酸化炭素排出と無関係であることは確かです。
とはいえ、体温を超えるような暑さは何とかならないものか、と思います。二酸化炭素排出量の縮減もやらないよりはまし(もしかすると温暖化の原因かもしれないので)かもしれません。しかし、現在の二酸化炭素排出量の縮減は「排出権取引」などがおこなわれているように、ただの投資や新商売のネタでしかありません。また植林で木を増やせば二酸化炭素を減らせると思っている人もいるようですが、これは嘘です。植物が光合成で固定した二酸化炭素は、植物が燃えたり腐敗したり、動物の餌になったりすれば、また環境に放出されます。木が成長したら伐採し、燃やさず腐らせずに永久保存し、また新しい木を植えるというのでなければ、植林で二酸化炭素を減らすことはできません。マスコミはそういった科学的事実を、きちんと示すべきです。
【話題2】 こんなことまでしなくても
写真の白い箱は何でしょうか。弁当箱ではないし筆箱でもないし…。これは我が家の子ども(もう大人です)が買ってきたスマートフォンを「監禁」するための箱です。
箱は丈夫なポリカーボネートでできていて、中にスマホを入れ、左上の方に見えるボタンでタイマーをセットすると、一定の時間、取り出せなくなります。ふたの一部に穴が開いているので、緊急時の電話をとることはできますが、YoutubeやInstagram、Twitter、Lineなどはできません。
子ども曰く、「資格試験の勉強に集中するため」だそうです。こんなものを使わなくてもスマホのスイッチを切っておけばよさそうなものですが…。
大学生になってからスマホを使い始めた我が家の子どもですら、常時SNSの通知が見られるようにしておかないと不安だというのですから、物心ついた時からスマホのあった高校生や、生まれたときから親のスマホをいじっていた中学生以下の子どもたちは一体どうなってしまうのでしょうか。
また今の若者は、友達と待ち合わせの場所や時間を決めたり、外出前に道順や乗り継ぎを調べるという習慣がないようです。停電や通信エラーでスマホが落ちたらどうやって行動するつもりなのでしょうか。人間の在り方としてどうなのかと思います。
8/1 吹奏楽コンクール & プチ史跡巡り(13)所沢航空記念公園
先週の土曜日(7月30日)に、所沢ミューズで行われた埼玉県吹奏楽コンクール(高校B)に行ってきました。
私は吹奏楽の経験はありませんが、高校時代になぜか合唱部に入っていてコンクールにも出ました。当時の合唱はトップ数校はとても上手でしたが、後はそうでもない学校もあり、結構のんびり、ほっこりしていました。ところが、近年の吹奏楽はどこの学校もみんな上手で、ハイレベルでしのぎを削っている感じで聞いていて息苦しくなるほどです。
当日は新型コロナウイルス対策で大きなホールに100人くらいしか聴衆がいませんでした。こんな素晴らしい演奏をしているのにこれしか聞いている人がいないのはとてももったいない気がしました。
会場となった所沢ミューズの最寄り駅は西武新宿線の「航空公園駅」です。駅を降りるとすぐ目の前に、YS11がドーンとおいてあります。
YS11は1962年から2006年まで現役だった(自衛隊では2021年3月まで最後の1機が運用されていました)国産の旅客機です。優れた信頼性から日本だけでなく世界中の航空会社にも採用され、戦前・戦後を通じ、唯一成功した国産旅客機です。
自分の国の設計で飛行機を製造できるというのは自立した工業力の証明です。
日本の飛行機の歴史は、1912年に所沢航空公園の場所にあった飛行場で、陸軍の徳川大尉がアンリ・ファルマン機で飛行したのが始まりとされます。この時のアンリ・ファルマン機もフランス製でしたが、その後、日本では飛行機国産化のための努力が続けられました。そして第2次世界大戦前夜の1930年代には世界の水準にほぼ追いつき、旅客機も何種類が作られました。しかしそれらは軍用の爆撃機や輸送機をベースにしたもので、しかもすぐに戦争に突入してしまったため国産の旅客機が本格的に作られることはありませんでした。
第2次世界大戦に敗北した後、日本では占領軍によって飛行機開発が禁じられていましたが、1952年にサンフランシスコ講和条約を結んだことで禁止が解除されました。そして日本の工業復興の象徴としてYS11のプロジェクトが各社協同で始まりました。
その結果、YS11の開発チームには、零式艦上戦闘機の堀越二郎氏をはじめ、二式大艇や紫電改の菊原静男、一式戦闘機隼の太田稔、三式戦闘機飛燕の土居武夫、航研機の木村秀政など、第二次世界大戦の前後にその名をとどろかせた傑作機の設計者たちが勢ぞろいとなりました。その点ではYS11は戦前の大日本帝国の航空技術の集大成だったのかもしれません。
いきなりマニアックな話になってきましたが、何を隠そう私は結構な飛行機マニアだったりします。
マニアックついでに書くと、よく誤解されているのですがYS11はジェット機です。「えっプロペラ機じゃないの」と言う人もいるかもしれませんが、YS11のエンジンは「ターボプロップ」というジェットエンジンの一種です。
通常のジェットエンジン(ターボファン)は、エンジン前方と後方に回転タービンがついています。前方のタービンで空気を圧縮し燃料と混ぜて燃焼させ、燃焼ガスを後ろに噴出して飛びます。その時にガスのエネルギーの一部で後方のタービンを回転させ、その力でまた前方のタービンを回転させる仕組みです。ターボプロップは後方のタービンで発生させた回転力を前方のタービンだけでなく、プロペラを回すことにも用います。要するにジェットの力でプロペラを回すわけです。
日本ではその後、三菱が小型ジェット旅客機を開発しようとしていましたが、さまざまなトラブルから現在開発中止状態になっています。現在日本の製造業はすっかり海外に後れを取っていますが、三菱のジェット機の開発中止はその象徴のようです。
YS11の開発時には、海外のメーカーからさまざまな横やりが入り、また国内にも外国製の飛行機を買う方が安上がりだという声が強かったようですが、自前の飛行機を飛ばして日本の復興の象徴としたいという思いで乗り切ったとのことです。三菱でもどこでもいいですから、何とか頑張って世界に胸の張れる日本製の旅客機を作ってほしいなと思います。