校長室ブログ

2023年5月の記事一覧

5/16 もうすぐ中間考査 & プチ史跡巡り(21) お稲荷さん(?)振興計画

 早いもので、もう来週後半は中間考査です。

 本校では教養を深め、読書習慣を身に付けるため、毎朝「朝読書」を行っています。私は「朝読書」などで読んでもらおうと、生徒向けにお勧めの本を紹介するメールマガジンを不定期に配信しているのですが、試験前1週間と試験中は勉強の邪魔にならないよう配信を休止しています。今年度は、配信のスタートが遅れたのでまだ1号しか出していないのですが、またしばらく配信はお休みです。休み明けからペースを上げて配信できるよう、休止期間中に少し書き溜めておこうかと思います。

 さて、プチ史跡21は、大宮駅東口の一角にひっそりとたたずむお稲荷さん(たぶん)です。

 

 

 大宮駅の東口にでると駅前広場から道を渡った先に「すずらん通り」というアーケードがあります。駅の側からアーケードに入り左側を見ていくと建物と建物の間に挟まった狭い路地があり、その奥に鳥居と祠が見えます。

 額などはなく祠の中もよく見えないので、御祭神が何かはよくわかりませんが、このような繁華街の真ん中にある小さなお社はおそらく商売繁盛の神さまのお稲荷さん、あるいは火伏せの神様の秋葉さまだと思います。

 草が伸び放題というわけではなく周囲も比較的きれいに片付けられているので、完全に忘れ去られているのではなさそうです。しかし傾いたまま放置された鳥居などをみると、さほど信心されているようでもなく、何か微妙な感じです。祠の正面に置かれた石の水盤を見ると大正10(1921)年に寄贈されているので、このお社は少なくとも100年以上前からお祀りされているわけです。それがこんなさびれた状態なのはちょっと寂しいですね。いかにも地権が入り組んでいそうな場所ですが、放置しておくには惜しいと思います。鳥居をきちんと立て直し、社を生垣で囲み、パワースポット的な由来(なければ創作しても良し)を書いた看板や「開運」とか「縁結び」とかの御利益を書いたのぼりを路地の入り口に立てれば、立地も良いので、東口の新名所になって繁盛するのではないかと思うのですが。関係者の方はぜひご一考ください。

 

 

 

5/8 もう5月&プチ史跡めぐり(20)吉野町の富士塚

 ほぼ1か月半ぶりの更新です。

 私事ながら4月にちょっと入院・手術・リハビリなどということをしていたので、ブログ更新まで手が回りませんでした。その辺もようやく落ち着いてきましたので、ぼちぼち更新を再開します。

 更新が途切れている間に入学式がありました。昨年度末の卒業生は、高校生活がコロナ一色だった「コロナ世代」でしたが、今年の入学生はコロナ騒動が明けた後の「ポスト・コロナ世代」として、伸び伸びと高校生活を送ってほしいものです。

 毎年のことですが、本校のある与野はバラの町です。今年も初夏を迎えてバラの花が咲いてきました。写真は本町小学校の土手に生えている野良っぽいバラです。

 

 バラというと普通は八重咲で花弁がきれいに巻いた(高島屋のマークのような)ものを思い浮かべますが、このバラはわりと原種っぽくていい感じです。

 さて、今回のプチ史跡巡りは、病み上がりなので無理はせず手近なところ、ということで、さいたま市北区吉野町のつつじが丘公園内にある富士塚です。

 与野公園の富士塚に比べると墳丘も低く形もあまり富士山っぽくありませんが、頂上には立派な「浅間大神」の石碑があります。

 

 この石碑の裏面を見ると、建立は明治18年となっており、建立の代表者として講長清水某の名前が刻んであります。現在でもこの地域には清水さんという御宅が多いので、いずれかのお家のご先祖なのでしょう。

 頂上へ続く短い参道には、様々な石碑が立てられています。17世紀の富士講の指導者食行(じきぎょう)や、明治初期に富士講の諸派をまとめ扶桑教を起こした宍野半(ししのなかば)を祀った石碑、神奈川の大山阿夫利神社や富士山の鈴原神社から勧請したらしい「阿夫利」「鈴原神」と書いてある石碑、「亀」とあるのは八大竜王を祀った亀岩と思われます。また崩し字なので(私には)よく読めないのですが、おそらく「御座石浅間」と書かれた碑もあります。富士塚にありそうなものは皆、揃っているなかなか素晴らしい富士塚です。

 以前にも書いたように、本校のある与野周辺には富士塚や御嶽塚が沢山ありますし、私がいつもふらついているさいたま市北部から上尾市にかけても非常にたくさんの富士塚があります。他にも埼玉県では志木市や川口市にも有名な富士塚があります。このあたりの江戸時代~明治時代にかけての庶民の山岳信仰熱には、ちょっと現代の想像を超えるものがあったようです。