2023年6月の記事一覧
6/21 今日は夏至 & 世界の不思議
今日は夏至です。
学校の方は先週、3者面談週間も終わりました。近年の学校は様々な行事やむやみに増えた休日などの影響で、落ち着いて授業ができる期間が本当に短いのですが、今は中間テストと期末テストの間のちょっとした凪のような時期です。生徒の皆さんはしっかり学業に取り組んでください。
さて、夏至と言えば、以前このブログで「氷川レイライン」説を紹介しました。今日の夕方に三室の氷川女体社や中川の中山神社に行き、夕日の方を向けば、その先に高鼻の氷川神社があるはずです。
この氷川神社の不思議などは、昔の人が作り出した不思議ですが、世の中には他にもいろいろ不思議なことがあふれています。
ちょっとピントがバックの方にあってしまいましたが、先日通勤途中に見かけたネジバナです。こんなにきれいならせん状に花が付くのはどうしてなのか、調べてみれば何か合理的な説明があるのだと思いますが、とても不思議です。
また先日、私の子どもの友人で物理学を勉強していた人が、スイスの有名な研究機関に留学に行くことになったという話を聞きました。素粒子か何かの研究をするのでしょうが、このような研究をしている人の頭の中には、私などには想像のつかない世界像が広がっているのではないかと思います。うらやましいですね。
子どものころから、いろいろ不思議なことに興味があり、(ちなみに幽霊や占いには興味はありません。これらは不思議ではなくインチキの類だと思うので…)、いろいろなことを知りたいと思っていましたが、時間的にも能力的にも全ての不思議を知ることは、到底無理なようです。でも、だからこそ不思議なことにあこがれるのですが…。与野高校の生徒の皆さんをはじめとした若い人たちが出来るだけ多くの不思議に出会い、その謎を解明できるよう祈ります。
6/8 体育祭がありました&初夏の花
おととい6月6日(火)に体育祭を行いました。
薄曇りの微妙な天気でしたが、近年は気持ちのよい「晴天の下」だと熱中症の心配があるのでちょうどよい感じでした。
100m走のようなガチでスポーツな種目から、借り人競争や部活動対抗リレーのようなリクリエーション種目まで、熱戦が繰り広げられました。
それで感じたのですが、最近の高校生は賢いですね。
おとといの本校体育祭の騎馬戦では、勝敗を各チームの生き残り騎数で判定するルールだったこともあり、各チームとも序盤は様子の探り合い、それ以降も無駄な戦闘を避けて生き残りを重視する作戦をとったため、戦うべき時と避ける時のはっきりした冷静でクールな騎馬戦になりました。さながらチェスや将棋の試合のようです。私が高校生の頃は、騎馬戦や棒倒しなどでは、おバカな男子が力任せにぶつかり合っていたものですが…。
さて、話は変わりますが、けさ出勤する時に、通り道の草木の多い民家の庭先から良い匂いが漂ってきました。みると白いくちなしの花が咲いていました。くちなしの花は花期が短く、すぐ茶色く枯れてしまうので、見逃してしまう年も多いのですが、今年はいいタイミングで見ることが出来ました。
また、ちょっと目を下に向けると、あまり見たことのない白い花も咲いていました。ドクダミっぽいのですが、
普通のドクダミは花弁が4枚ところ、これは八重咲になっています。葉っぱを1枚むしらせてもらったら、匂いはしっかりドクダミでした。
学校に来て、ネットで調べたらやはり八重咲のドクダミというものがありました。一種の変異株で、園芸的に栽培されることもあるようです(上の写真の上が八重咲、下が普通のもの)。私が見たのはいかにもほったらかしな感じですが、よそのうちの庭のものを勝手にもらうわけにもいかないので、外から観察を続けたいと思います。
6/5 プチ史跡巡り(22)「氷柱を見た」
今年度に入ってから更新間隔が長くなっています。
学校の方は中間考査も終わり、明日は体育祭です。本当は先週金曜日に予定されていたのですが、台風2号と線状降水帯とやらのせいで延期になりました。昔は体育祭というと秋9月~10月にやっていたものです。しかし、20世紀末ころから残暑が厳しくなったため、5月末~6月初めに時期を移しました。ところが近年では梅雨の開始が早くなり、この時期だと雨の心配が出てきました。現在、進行中と思われる気候変動は一体どこまで進むのでしょうか?
話は変わりますが、この数年、「昭和レトロ」ブームで、昭和風の飾りつけをした居酒屋や、昭和風の玩具や雑貨などが若者にも人気のようです。しかし、これらは、実際に昭和を生きてきた私などからすると、ずいぶんとおかしなものに見えます。昭和は60年以上続きました。大正デモクラシーの名残りのモダンさが漂う昭和初期から、戦争一色の昭和10年代、敗戦からの復興を遂げた昭和20年代~30年代、高度経済成長を達成した昭和40年代~50年代、バブル景気に沸いた昭和60年代と、全く様相の違う時代を、「昭和」でひとくくりにしてしまうことには無理があります。
私は昭和38(1963)年生まれですが、私が子供だった昭和40年代は、きわめて変化の大きい時代でした。私の覚えている一番古い大宮の風景では、まだ大宮駅に駅ビル(今のルミネ)がなく、木造平屋建ての駅舎で改札の外は、すぐに東口のバス広場になっていました。京浜東北線にはまだ茶色の片開ドア車両が残っており、大宮駅の整備工場では、蒸気機関車もよく見かけました。(下の地図はそのころのもの。大宮駅の形状に注意)
その頃のことですが、当時中山道の交差点にあった「富士銀行」だっと思います。石造風の立派な玄関を入ったロビーに、夏になると大きな「氷柱」がおいてあったのを憶えています。「氷柱」とは文字通り、氷屋さんから買った大きな氷の塊で、夏に涼をとるために置くものです。私が子供のころでも、さすがに役所や銀行には冷房施設を備えた場所が多く、氷柱を置いているのはここだけだったと思います。おそらく私は「氷柱」というものが実際に使われているのを見た最後の世代でしょう。
また同じように、当時は病院の待合室などには冬に大きな火鉢がおかれているところがありました。真っ赤に燃えた炭から発せられる顔が焼けるほどの熱線の感触をまだ憶えています。
1970年代にはいると「氷柱」や「大火鉢」は姿を消し、砂利道や木造モルタル建築から、アスファルトと鉄筋コンクリートへと町の景観は急速に変わっていきましたが、私が小学校に上がる前には、まだそういった戦前の名残のようなものがありました。