2022年1月の記事一覧
1/4 年の初めは初詣(プチ史跡巡り5)
明けましておめでとうございます。
私は元旦には毎年上尾駅近くの氷川鍬(ひかわくわ)神社へ詣でています。以前は元旦の朝には社殿から鳥居を越えて中山道の方まで参拝者の列が続いていたものでしたが、今年もコロナの影響か列がだいぶ短めでした。
この神社は大宮の氷川神社の末社の一つですが、何故か社名に「鍬(くわ)」の字が入っています。
以前上尾市広報に載っていた記事によれば、この神社は明治時代までは「御鍬太神宮(おくわだいじんぐう)」という神社でした。江戸時代の初めの寛永9(1632)年のある日、北の桶川の方から二人の童子が櫃(木の箱)を引っ張り、歌い踊りながらやってきて、上尾の宿場の真ん中に櫃を残して消える、という不思議な事件がありました。人々が櫃を開けてみると2本の鍬が入っていたので、上尾の本陣を務める林家がそれを御神体として社を立てた、というのが創建の由来です。
こうしてみるとこの神社の本来の祭神は「鍬太神」と呼ばれる系譜不明の神様で、17世紀前半創建と比較的新しい神社ということになります。17世紀という近世にも、こういった怪異現象が信じられ、新たな神が生まれたというのは、非常に興味深いことです。
しかし、明治時代に政府による神社の統合政策が行われると、系譜のはっきりしない神様を祀る神社は格付けが低くなるため、上尾では御鍬太神宮に二ツ宮にあった氷川女体社を移転・合祀して氷川鍬神社と改名し、村社の格付が得られるようにしました。その際、祭神も稲田姫命(いなだひめのみこと)、豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)等となりました。稲田姫はスサノオの妻、オオクニヌシの母とされる神で、どこの氷川神社にも祀られています。豊鍬入姫は崇神天皇の皇女ですが、これは「鍬」の字つながりで、鍬太神を古事記・日本書紀に登場する神々の系譜に結び付けようとしたものでしょうか?
かつては他の地域にも上尾の「鍬太神」と同じような、ローカルな神様が沢山いました。地域の神社は大らかで何でもありの豊かな信仰心に支えられたものだったのですが、明治政府の神社統合により神様の世界にも官僚的な組織と階級制度が持ち込まれ、ローカルな神様たちのほとんどが消えました。
この上尾の氷川鍬神社は、かつてのローカルな神様の名残をとどめている貴重な神社です。また境内に菅原道真公(すがわらのみちざね)を祀る天神様、浅間大神(=木花開耶姫命(このはなのさくやびめ))を祀る富士塚(写真上)、孔子や朱子を祀った二賢堂跡の碑、太子信仰を物語る聖徳太子像の碑があるなど、神道、儒教、仏教が入り乱れた面白い場所でもあります。昔の日本人の自由な信仰心を見ることが出来る素晴らしい史跡です。